シュタットテンペル Stadttempel
ウィーン旧市街の街区に隠すように組み込まれた、市の中央シナゴーグ。1824–26年にヨーゼフ・コルンホイゼルが楕円形の祈りの空間として設計し、街路に面さぬ構えゆえに1938年の破壊を免れ、市内で唯一戦災を生き延びた。
§1 — 概要概要
シュタットテンペル(Stadttempel、ウィーン市立シナゴーグ)は、オーストリアの首都ウィーンの旧市街(インネレシュタット)、ザイテンシュテッテン通りに建つユダヤ教のシナゴーグである。ウィーン・ユダヤ教徒共同体(IKG)の中央会堂であり、アシュケナジムの典礼にもとづく礼拝が今日も続けられている。外観は周囲の集合住宅と一体化して通りからはそれと分からないが、内部には円蓋をいただく端正な楕円形の祈りの空間が広がる。
歴史
1782年、皇帝ヨーゼフ2世の寛容令によってウィーンへのユダヤ教徒の定住が再び認められたが、カトリック以外の礼拝施設は街路に正面を向けて建ててはならないと定められていた。この制約のもと、共同体は住居棟の内側に会堂を組み込む形で建設を進める。設計は当時のウィーンを代表する建築家ヨーゼフ・コルンホイゼルが担い、1824年から1826年にかけて建てられ、1826年4月9日に献堂された。落成式では聖歌隊指揮者ザロモン・ズルツァーが、フランツ・シューベルトの作曲した詩篇92番を歌ったと伝えられる。
街路に面さないというこの構えが、思わぬ形でこの建物を救うことになる。1938年11月のいわゆる「水晶の夜」、ナチスとその協力者はウィーンの93のシナゴーグと祈祷所をことごとく破壊したが、シュタットテンペルは住居棟に密着していたため、火を放てば隣接する建物に延焼する恐れがあり、放火を免れた。結果として、市内で第二次世界大戦を生き延びた唯一のシナゴーグとなった。内部は破壊を受けたものの戦後に修復され、1949年にはテオドール・ヘルツルとその両親の棺が、イスラエルへの改葬に先立ってここに安置された。1963年にはオットー・ニーダーモーザーの指揮で大規模な改修が行われている。
建築的特徴
会堂の中心は、長径方向に引き伸ばされた楕円平面の祈りの空間である。周囲を12本の大理石のイオニア式円柱が取り囲み、その上に三層の女性席のギャラリーがめぐる。天井は星をちりばめた青い円蓋で覆われ、頂部の採光窓から光が落ちる。コルンホイゼルは劇場建築で名を成した人物であり、楕円の平面、舞台のように焦点化された聖櫃(アーク)、層をなす桟敷は、当時のウィーンの劇場やオペラハウスを思わせる。華美な装飾を抑えた明快な古典主義は、ナポレオン戦争後の中欧市民社会の趣味、すなわちビーダーマイヤーの精神を体現している。シナゴーグに楕円平面と円蓋を用いたのはこれが先駆的な例であり、その構成は西欧各地のシナゴーグの模範となった。
意義・現在
シュタットテンペルは、寛容令以後のウィーン・ユダヤ社会の到達点を示す記念碑であると同時に、迫害の歴史をくぐり抜けた生き証人でもある。街路から姿を隠すという不本意な制約が、皮肉にもこの一棟を破壊から守ったという経緯は、近代ヨーロッパのユダヤ史を凝縮している。建物は記念物として保護され、現在もウィーン・ユダヤ教徒共同体の中央シナゴーグとして礼拝に用いられるとともに、ガイド付きで見学も受け入れている。