タージマハル・ホテル Taj Mahal Palace Hotel
ムンバイの港に面して建つホテル。ジャムシェトジー・タタの計画で1898年に着工し、1903年に開業した。S・K・ヴァイディヤとD・N・ミルザが設計し、W・A・チェンバーズが完成させた、赤いドームを戴くインド・サラセン様式の建築である。
§1 — 概要概要
タージマハル・ホテル(The Taj Mahal Palace)は、インド西部ムンバイのコラバ地区、アポロ・バンダルの海岸に建つホテルである。実業家ジャムシェトジー・タタが計画し、1903年に開業した。灰色の石の壁体に赤いドームを戴く本館(パレス棟)は、インド・サラセン様式の代表的な民間建築である。のちに隣に建てられたインド門とともに、海からボンベイ港に入る船が最初に目にする都市の顔となった。
現在は、タタ・グループのインディアン・ホテルズ・カンパニーが所有・運営する。本館と、1970年代に建てられた高層のタワー棟の二つの建物から成る。
歴史
タタは1898年、ボンベイ港湾当局から海沿いの土地を借り受けて工事に着手した。設計は、F・W・スティーヴンスのもとでボンベイ市庁舎などの現場を担ったインド人技師シタラム・カンデラオ・ヴァイディヤと、D・N・ミルザが手がけた。ヴァイディヤが工事中の1900年に没すると、イギリス人技師W・A・チェンバーズが計画を引き継いで完成させた。施工者としては、ソラブジ・ルトンジ・コントラクターの名が伝わる。ホテルは1903年12月16日に開業した。

建設の動機については、タタがヨーロッパ人専用のホテルへの入館を断られたことに発するという逸話が広く流布している。ただし作家チャールズ・アレンはこれに疑問を呈し、「ボンベイにふさわしい」ホテルを求めたタイムズ・オブ・インディア紙の編集長の勧めと、愛着ある都市への贈り物という動機を挙げている。
第一次世界大戦中には、600床の病院に転用された。1970年代初めには、隣接するグリーンズ・ホテルの跡地に高層のタワー棟が建てられ、本館と新館が並ぶ現在の構成となった。
2008年11月26日からのムンバイ同時多発テロでは、武装集団に襲撃・占拠された。11月29日に制圧されるまでに館内で少なくとも31人が死亡し、本館の屋根と最上階が火災で焼失した。修復を経て、本館は2010年8月15日に営業を再開している。
建築的特徴
本館は、海岸線に沿って長く延びる左右対称の構成をとる。中央に赤い瓦葺の大ドームを載せ、その周囲や両翼の端部に小さなドームを戴く塔を配する。窓や開口部には尖頭アーチが多用され、灰色の石の壁面に白い石の縁取りが映える。中央ドームはヴィクトリア・ターミナス駅のドームを手本にしたとされ、チェンバーズが設計を引き継いだ際に規模を大きくしたとも伝えられる。

イスラーム系のドームやアーチに、ヨーロッパのルネサンス風の細部や屋根の構成を組み合わせる折衷は、同時代のボンベイの官庁や駅舎と共通する語法である。このホテルは、それを民間の商業建築で大規模に実現した点に特色がある。
内部では、中央ドームの下に設けられた大階段が知られる。各階の階段と踊り場を壁から片持ちで張り出させ、中央に柱を立てずに吹き抜けを巡らせる構成で、施工者ソラブジ・コントラクターの考案と伝えられる。

開業時、正面玄関は陸側に置かれ、海側は建物の裏手にあたっていた。のちに玄関は移され、もとの車寄せがあった場所には現在プールがある。
意義・現在
タージマハル・ホテルは、インド人の資本により、インド人技師の設計を起点として建てられた大規模な近代ホテルである。植民地期のボンベイで、民族資本が都市の顔となる建築を自ら築いたことを示す建物として位置づけられる。1924年に完成したインド門と並び、アポロ・バンダルの港の景観を形づくっている。
2017年には、建物の外観がインドで画像商標として登録された。建築の意匠が知的財産として保護を受けた国内初の例である。テロからの修復を経た現在も、本館とタワー棟を合わせてタタ系ホテルチェーンの旗艦として営業を続けている。