播磨平野の姫山に築かれた日本の近世城郭の到達点。1601年から池田輝政が8年を費や…
城郭建築とは、日本の城を構成する天守・櫓・門・塀などの建築群を指す。軍事施設でありながら領主の権威を可視化する記念物でもあり、防御装置としての合理と、遠望される造形としての演出とが同じ壁面の上で重なっている点に特質がある。戦国末期から江戸初期にかけて短期間で成熟し、その後は制度によって新造が止まったため、様式としての幅は狭く、完成度は高い。
中世の城は山上に堀切と土塁を巡らせた簡素なもので、恒久的な建築を伴わなかった。転機は16世紀後半、鉄砲の普及と大名領国の成立である。織田信長の安土城以降、平野を見下ろす丘に石垣を積み、礎石の上に瓦葺きの重層建築を建てる形式が急速に広まった。城は山を降りて平山城・平城となり、城下町と一体の政庁へ変わる。1615年の一国一城令と武家諸法度は新規築城と大規模修築を厳しく制限し、以後の城郭建築は事実上、17世紀前半までに造られたものの維持・修理の歴史となった。
形態上の骨格は縄張、すなわち曲輪・堀・虎口の配置にある。敵の進路は枡形虎口で何度も折られ、そのたびに周囲の櫓と塀から射撃を受ける。塀や櫓の壁には狭間が穿たれ、石垣に取りつく敵には石落としが備えられた。上部構造では、初期の入母屋造の建物に望楼を載せる望楼型から、各重を規則的に逓減させる層塔型へ移行する。壁は柱を見せない総塗籠、あるいは黒漆塗の下見板張りで仕上げられ、破風の組み合わせが天守の輪郭を決めた。
代表例は、大天守と三基の小天守を渡櫓で結ぶ連立式天守をもつ姫路城であり、ほかに松本城・彦根城・松江城・犬山城など十二の天守が江戸時代以前の姿で現存する。明治の廃城令と第二次世界大戦の空襲で多くが失われ、戦後は鉄筋コンクリートによる外観復元天守が各地に建てられた。近年は史料に基づく木造復元が試みられており、失われた城郭建築をどこまで、どのように取り戻すのかという問いが続いている。