イスタンブール、ファティ地区に建つオスマン帝室モスク。征服者メフメト2世が聖使徒教会の跡地に1463–1470年に造営した最初の本格的帝室建築で、1766年の地震で倒壊したのち1771年にオスマン・バロックの意匠で再建された。
§1 — 概要概要
ファーティフ・モスク(Fatih Camii、「征服者のモスク」の意)は、イスタンブール旧市街のファティ地区に建つオスマン帝室モスクである。コンスタンティノープルを征服したスルタン、メフメト2世(征服者=ファーティフ)の発願により、1463年から1470年にかけて、巨大な複合施設(キュッリイェ)の中核として造営された。イスタンブールにおける最初の本格的なオスマン帝室建築であり、のちの帝室モスク建築の出発点となった記念碑的建造物である。
歴史
モスクは、ビザンティン帝国の聖使徒教会の跡地に建てられた。コンスタンティヌス大帝ら歴代ローマ皇帝の墓所であったこの6世紀の教会は、第四回十字軍以降に荒廃しており、征服後に取り壊されてモスクの敷地となった。建設はギリシア系の建築家アティク・スィナンが担い、1470年に完成した。創建時の複合施設は、八つのマドラサ(サフン=セマンと呼ばれる神学校群)、図書館、施療院、隊商宿、浴場、貧者のための施粥所などを含む、空前の規模を誇る一大宗教・社会施設であった。その後たびたび地震に見舞われ、1766年5月の大地震で主ドームが崩落して壊滅的な被害を受けた。スルタン・ムスタファ3世のもとで再建が進められ、1771年、主席建築家メフメト・タヒル・アーの設計により、当時流行していたオスマン・バロックの意匠で現在の姿に改められた。
建築的特徴
創建時のモスクは、ハギア・ソフィアを意識した大ドームと半ドームの構成をとり、前面に列柱の中庭を備えていたと伝えられる。現存する建物は1771年の再建によるもので、中央の大ドームを四方の半ドームで受け、二本のミナレットを立てる集中式の構成をとる。創建期の古典オスマン建築がもっていた幾何学的な厳格さに対し、再建後の堂内は、曲線を帯びたミフラーブまわりの装飾や軽やかな細部に、ヨーロッパ由来のバロック趣味がにじむ。広大な境内には、メフメト2世とその妃ギュルバハル・ハトゥンの霊廟(テュルベ)が営まれ、参詣の対象となっている。
意義・現在
ファーティフ・モスクは、征服によって首都となったイスタンブールに、イスラーム都市としての新たな核を据えた建築である。単独のモスクではなく、教育・医療・福祉を包み込む複合施設として構想された点に、オスマン帝室建築の理念がよく表れている。創建時の建物は地震で失われたものの、敷地と複合施設の骨格、そして征服者の霊廟は受け継がれ、再建後の堂もまたオスマン・バロックの代表例として歴史的価値を帯びる。近年の修復を経て、現在も多くの信徒と参詣者を集める、旧市街の重要な信仰の中心であり続けている。