ヒラルダの塔 Giralda
セビリア大聖堂の鐘楼。もとは1184年に着工したムワッヒド朝大モスクのミナレットで、レコンキスタ後も破却されず、16世紀にルネサンス様式の鐘楼部が積み増された。二つの時代が上下に重なる高さ約95メートルの塔である。
§1 — 概要概要
ヒラルダの塔は、スペイン南部セビリアにある大聖堂の鐘楼である。塔身は12世紀末にムワッヒド朝が建てた大モスクのミナレットであり、上部の鐘楼は16世紀にキリスト教側が積み増したルネサンス様式の構築物である。イスラーム期の建築が破却を免れて転用され、そのうえに別の時代の意匠が重ねられた例として、アル=アンダルスの建築遺産のなかでも際立った位置を占める。1987年、大聖堂・アルカサル・インディアス古文書館とともに世界遺産に登録された。
歴史
セビリアをアル=アンダルスの都としたムワッヒド朝のカリフ、アブー・ヤアクーブ・ユースフは、手狭になった旧来の金曜モスクに代えて、1170年代初頭に新しいモスクの建設を命じた。設計を統括したのは同朝の主任建築家アフマド・イブン・バーソである。モスク本体は1176年にほぼ完成したが、ミナレットの着工は1184年秋まで下がった。着工の直後にイブン・バーソが世を去ったとされ、続いてカリフも遠征先で戦死したため工事は中断する。1188年に再開されると、マグリブ出身のアリー・アル=グマーリーが煉瓦造の塔身とその装飾を、シチリア出身のアブー・ライス・アッ=シキッリーが頂部の小塔を担い、1198年3月10日、頂に四つの金属球を掲げて完成した。
1248年にカスティーリャがセビリアを征服したのちも塔は残され、大聖堂に転じたモスクの鐘楼として使われ続けた。1356年の地震で金属球が落下し、1400年に十字架と鐘が代わって据えられている。16世紀に入ると、大聖堂の主任建築家エルナン・ルイス2世が1558年から1568年にかけて頂部にルネサンス様式の鐘楼を増築し、1568年、風見を兼ねた青銅像ヒラルディーリョが載せられた。塔の名はこの回る像に由来する。
建築的特徴
塔身は一辺13.6メートルの正方形平面をとり、内部に七つのヴォールト架けの部屋を積み上げ、その周囲を35の緩やかなスロープが巻き上がる。階段ではなくスロープを採ったのは、荷を負った家畜が頂まで上れるようにするためであったと同時代の記録は伝える。
外壁の意匠は垂直に三分される。中央の帯には内部のスロープへ採光する窓が並び、馬蹄アーチや多弁アーチの開口を、アラベスクを刻んだ盲アーチが縁取る。両側の帯はセブカと呼ばれる菱形の網目文様で埋め尽くされる。窓に用いられた大理石の円柱と柱頭の多くは、9世紀から10世紀の後ウマイヤ朝の建物から運ばれたスポリアであり、基礎にはローマ期の市壁やアッバード朝宮殿の石材も再用されている。
上部の鐘楼は、鐘を吊る方形の層の上に、方形二層と円形二層を細りながら積む。稜線には「カランボラ」と呼ばれる石の壺が並ぶ。煉瓦の網目文様の上に石の彫刻が載るこの接合部は、二つの時代の異なる論理が同じ塔の上で出会う場所である。
意義・現在
ヒラルダの塔は、マラケシュのクトゥビーヤ・モスクとラバトのハサンの塔に並ぶムワッヒド朝ミナレットの代表である。三塔のうち当初の姿を最もよく保ちながら、しかも異教の増築を受け入れて生き延びたのはこの塔だけであった。破却ではなく転用という選択が、結果として一つの塔の上に二つの文明の意匠を並置させた。塔はセビリアの都市的な象徴であり続け、その形はスペイン内外で繰り返し模倣されている。現在も大聖堂の鐘楼として現役であり、内部のスロープは見学者に開かれている。