EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
ペール・ラシェーズ墓地
© Connie Ma / CC BY-SA 2.0
FIG. 01 — Q311
様式 · 新古典主義建築 時代 · 新古典・歴史主義 類型 · 公共・官庁 ★ 指定景観地(site classé, 1962年)。1900年以前の墓碑を中心に多数が歴史的記念物(monument historique)に登録。

ペール・ラシェーズ墓地 Père Lachaise Cemetery

cimetière du Père-Lachaise

パリ東部、20区の丘に広がる世界初の庭園墓地。1804年、ナポレオンの命によりブロンニャールが英国式庭園に着想して設計し、ショパンやワイルドが眠る、世界で最も多くの人が訪れる墓地として知られる。

FIG. 02 — Location48.8611° N 2.3942° E
フランス 20区 パリ
§1 — 概要

概要

パリ東部、メニルモンタンの丘に広がる市立墓地である。1804年に開かれた世界初の庭園墓地であり、起伏のある丘陵に樹木と小径を配した景観は「死者の都市」とも称される。約44ヘクタールの敷地に100万を超える埋葬があり、ショパン、ドラクロワ、バルザック、プルースト、オスカー・ワイルド、エディット・ピアフ、ジム・モリソンら、各時代の著名人が眠る。今日では年間およそ200万人が訪れる、世界で最も多くの人を集める墓地として知られる。名は、この地にあったイエズス会士でルイ14世の聴罪司祭フランソワ・ド・ラ・シェーズ(1624–1709)に由来する。宗教を問わず市民の埋葬を認めた、近代的な世俗墓地の原型でもある。

歴史

18世紀末のパリでは、市街の墓地が飽和し衛生上の危機が叫ばれていた。1780年のサンティノサン墓地の閉鎖を機に、市は郊外に新たな大墓地を設ける方針を採る。第一統領ナポレオン・ボナパルトのもと、1803年にモン=ルイの丘の約17ヘクタールを「東墓地(cimetière de l'Est)」へ転換する計画が認可され、設計は新古典主義の建築家アレクサンドル=テオドール・ブロンニャール(Alexandre-Théodore Brongniart)に委ねられた。墓地は1804年5月21日に開かれ、最初に葬られたのは5歳の少女であった。「すべての市民は人種や宗教を問わず埋葬される権利をもつ」というナポレオンの原則のもと、特定宗派に属さない墓地として出発している。

もっとも開設当初は、市街から遠く、また教会の祝別を受けていないことを嫌うカトリック信徒も多く、その年の埋葬はわずか13件にとどまった。これを受けてセーヌ県知事フロショ(Nicolas Frochot)らは、1804年に劇作家モリエールと詩人ラ・フォンテーヌの遺骸を、1817年には中世の悲恋で知られるアベラールとエロイーズの墓を移すなど、著名人を「住人」として誘致する戦略を採った。これが奏功して、ここに葬られることが一種の名誉となり、1830年には3万を超える墓が並んだ。墓地はその後1824年から1850年にかけて五度拡張されている。

1820年代には、パリ市の建築家エティエンヌ=イポリット・ゴデ(Étienne-Hippolyte Godde)が礼拝堂と正門を加えた。1871年には、パリ・コミューン最後の抵抗者147名が墓地内の壁の前で銃殺され、この「連盟兵の壁(Mur des Fédérés)」は今もフランス左派の象徴的な集会地となっている。19世紀末には、ジャン=カミーユ・フォルミジェ設計のコロンバリウムと火葬場が築かれ、フランス初の火葬場となった。

建築的特徴

ブロンニャールの構想の核心は、整然と区画された従来の墓地とは異なる、英国式庭園(jardin à l'anglaise)に倣った起伏ある景観にあった。丘の地形を生かして曲がりくねった小径を巡らせ、糸杉や柳など多様な樹木の間に墓を配する——その姿は、散策を誘う公園であると同時に、街路と区画をもつ一つの都市のようでもある。建築物というより設計された風景であり、この「庭園墓地」という型そのものが彼の最大の発明であった。当初ブロンニャールは丘の頂に巨大なピラミッドを構想したが、これは実現していない。

その役割を担ったのがゴデである。彼はイエズス会士の旧居跡に新古典主義の礼拝堂を建て(1820年代初頭着工、1834年に聖別)、メニルモンタン大通りに面して記念碑的な正門を設けた(1825年完成)。半円形に湾曲した壁と二本の塔状の門柱からなる正門は、有翼の砂時計、松明、花綱といった葬送の象徴で飾られている。墓地内に立ち並ぶ墓碑そのものは、ゴシック、新古典主義、アール・ヌーヴォーなど様式を横断し、19世紀以降の墓碑彫刻と建築の野外美術館の観を呈する。フォルミジェのコロンバリウムは、煉瓦と砂岩のドームを戴くビザンティン・リヴァイヴァルの作である。

意義・現在

ペール・ラシェーズは、近代的な庭園墓地の原型として、ヨーロッパや南北アメリカに広がる19世紀の大規模庭園墓地の手本となった。革命後の「埋葬の平等」という理念を体現する、世俗の公共空間でもある。現在も機能する市立墓地でありながら、著名人の墓と墓碑芸術を目当てに世界中から訪問者を集める。墓地の約半分を占める「ロマン主義区域」は1962年に景観地(site classé)として指定され、1900年以前の墓碑を中心におよそ3万件が歴史的記念物(monument historique)に登録されている。

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