イラン中部エスファハーンの旧市街にある会衆モスク。8世紀後半の創建以来、セルジ…
イル・ハン朝建築(Ilkhanid architecture)は、モンゴル帝国の一翼としてイランを中心に成立したイル・ハン朝(1256〜1353年)の時代に、イランとその周辺で展開したイスラーム建築である。セルジューク朝以来のイランの煉瓦造の伝統を受け継ぎつつ、ドームの設計と施釉タイル装飾の技術を大きく前進させ、後のティムール朝建築の基盤を用意した。王朝は当初遊牧的なモンゴルの支配層に担われていたが、13世紀末にガザン・ハンがイスラームに改宗すると、都市のイラン文化を担い手とする建設事業が活発になった。
この時代の建築は内部空間の扱いに意を注いだ。室の天井は高くなり、横断アーチで支える横断ヴォールトが採用され、壁をアーチで開いて光と風を取り込んだ。それまでスキンチなど移行部に限られていたムカルナスは、ドームやヴォールト全体を覆う装飾として用いられるようになる。色彩の面では、単色のタイルを切って組み合わせるタイル・モザイクが発達し、幾何学文や植物文で壁面を彩った。化粧漆喰の彫刻も続き、1310年にエスファハーンのジャーメ・モスクに加えられたミフラーブはその頂点とされる。
モスクやマドラサは四イーワーン形式を踏襲し、正門の上に2本のミナレットを載せる記念碑的な門構えもこの時代の特徴となった。王朝はタブリーズ、マラーゲ、ソルターニーイェの都市建設を進め、ウルジェイトゥが新都ソルターニーイェに建てた自らの廟は巨大な二重殻ドームで知られる。宮殿の遺構としては、アバカ・ハンがサーサーン朝のゾロアスター教聖地跡に築いたタフテ・スレイマーンが唯一まとまって残る。王朝の分裂後もムザッファル朝やジャライル朝など配下の政権が建設を続け、その成果はティムール朝に引き継がれた。
イラン中部エスファハーンの旧市街にある会衆モスク。8世紀後半の創建以来、セルジ…