イラン北西部、湧水湖を囲む石灰華の台地に築かれたゾロアスター教の聖地。サーサ…
サーサーン朝建築(Sasanian architecture)は、224年から651年にかけてイラン高原とメソポタミアを支配したサーサーン朝ペルシアの建築である。王朝はアケメネス朝と同じファールス地方に興り、その後継を自任したが、建築ではアケメネス朝の石の柱と梁による多柱室ではなく、パルティア期に現れたアーチとヴォールトの技術を大規模に発展させた。壁体は石や日干し煉瓦・焼成煉瓦で築かれ、表面はスタッコで仕上げられた。
形態の第一の特徴は、正面を大きく開いた筒形ヴォールトの広間、イーワーンである。首都クテシフォンに残るホスローのイーワーンは、その最大級の例として後世まで知られた。第二の特徴は、方形の部屋の四隅にスキンチを架けて八角形に変え、その上にドームを載せる架構である。アルダシール1世がフィールーザーバードに建てた宮殿のドーム室は、スキンチを用いた現存最古の例とされる。四方にアーチを開いた方形のドーム堂チャハール・タークは拝火神殿の基本単位となり、宮殿など世俗の建物にも用いられた。宮殿では、大イーワーンの奥にドームの広間を置き、中庭のまわりに部屋を連ねる構成が繰り返される。岩壁に王の叙任や戦勝を刻んだナクシェ・ロスタムなどの磨崖浮彫も、この王朝の美術を特徴づける。
代表的な遺構に、フィールーザーバードのアルダシール1世の宮殿、ビーシャープールの王都、クテシフォンのホスローのイーワーン、王家の聖地タフテ・ソレイマーンがある。
前後の様式との関係では、パルティア建築のイーワーンとヘレニズム期の要素を受け継ぎながら、それをイラン固有の形式にまとめ直した段階にあたる。7世紀のアラブの征服で王朝は滅んだが、イーワーン、スキンチによるドーム、中庭を軸とする構成はイスラーム建築に取り込まれ、イランの四イーワーン形式のモスクへと引き継がれた。
イラン北西部、湧水湖を囲む石灰華の台地に築かれたゾロアスター教の聖地。サーサ…