EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

稜堡式要塞

Star fort
年代
1500 — 1870
地域
ヨーロッパ・世界各地
時代
ルネサンス

稜堡式要塞(Star fort)は、城壁の隅角に角形の稜堡を突き出させ、平面が星形をなす近世の要塞形式である。築城法としては稜堡式城郭(トラース・イタリエンヌ)とも呼ばれ、15世紀末から19世紀半ばまで、火砲の時代の築城の標準であった。

成立の契機は大砲の発達である。高く薄い中世の城壁は鉄の砲弾に耐えられず、1494年のフランス王シャルル8世のイタリア侵攻はそれをはっきりと示した。イタリアの建築家・技師たち、なかでもジュリアーノとアントニオのダ・サンガッロ兄弟やミケーレ・サンミケーリは、城壁を低く厚くし、土を盛った塁壁で砲撃を受け止める方式を編み出した。

形態の要は側射である。多角形の稜堡は、隣り合う稜堡と互いの前面を射撃で掃けるよう角度を計算して配置され、城壁の足元の死角が消える。城壁の外には広い堀、兵が身を隠して移動する覆道、緩やかに下る斜面(グラシ)が続き、堀の中や前方には半月堡などの外塁が重ねられた。地下には敵の坑道を迎え撃つ対抗坑道が掘られ、水の得やすい土地では周囲を水没させる浸水防御が組み合わされた。

16世紀末にはヴェネツィア共和国が九つの稜堡をもつ計画都市パルマノーヴァ(1593年起工)を築き、要塞と都市計画が一体となった。17世紀にはオランダのメノ・ファン・クーホールン、フランスのヴォーバンが体系を完成させ、ヴォーバンの手法は18世紀にコルモンテーニュらへ受け継がれた。形式はヨーロッパ全域から植民地へ広まり、ロシアのペトロパヴロフスク要塞(1703年起工)、フィンランドのスオメンリンナ、ハプスブルク君主国のテレジーン(1780年起工)など各地に例が残る。日本でも幕末に函館の五稜郭が築かれた。

19世紀半ば、射程と威力に優れた施条砲が普及すると、稜堡で囲む一重の防衛線は意味を失い、本体から離して配置した独立堡塁を連ねる方式へ移った。多くの稜堡式要塞はその後の都市の拡張とともに取り壊されたが、残ったものは星形の緑地や歴史的街区として、近世築城術の幾何学を地図の上にそのまま残している。

稜堡式要塞
§1

代表建築

Buildings
稜堡式要塞 テレジーン
1790 · テレジーン
テレジーン
Karl Clemens von Pellegrini

チェコ北部、エルベ川とオフジェ川の合流点近くに築かれた稜堡式の要塞都市。1780…

§2

様式の系譜

Lineage
親様式
軍事建築
→
本様式
稜堡式要塞