カステル・デル・モンテ Castel del Monte
南イタリア、プーリアの丘に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が1240年代に築いた城。八角形の主体に八つの八角形塔を配し、古典・イスラーム・ゴシックの語法を幾何学的な秩序に統合している。
§1 — 概要概要
カステル・デル・モンテは、イタリア南部プーリア州アンドリアの郊外、標高約540メートルの丘に建つ13世紀の城である。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が1240年代に築かせた。名は「山の城」を意味する。八角形の主体の各隅に八角形の小塔を立て、中央に八角形の中庭を穿つという徹底した幾何学が、この建物を中世の城郭建築のなかで際立たせている。1996年、ユネスコの世界文化遺産に単独で登録された。イタリア発行の1ユーロセント硬貨の図案にも用いられている。
歴史
1240年、フリードリヒ2世はカピタナータの代官に対し、この城の工事を完成させるよう命じる文書を発している。着工はそれ以前に遡るが、皇帝の生前に全体が仕上がることはなかった。狩猟の館として使われたとする通説を裏づける史料はなく、近年の発掘では周囲に外郭壁があった痕跡が指摘されており、防御機能をもつ城塞と見る解釈が有力になっている。
フリードリヒ2世の子マンフレーディの時代には狩猟に用いられたが、1266年にマンフレーディを破ったアンジュー家のシャルル1世のもとで国家監獄に転じ、マンフレーディの遺児たちが長く幽閉された。以後は疫病の際の避難所などに使われ、やがて放棄される。18世紀にはブルボン家の手で大理石の円柱や窓枠が剥ぎ取られ、カゼルタの宮殿へ転用された。1876年にイタリア国家が2万5000リラで買い上げ、1928年から修復が始まっている。
建築的特徴
平面は正八角形で、各隅に八角形の小塔が付く。全体の直径は約56メートル、主壁の高さは25メートル、塔は26メートルに達する。塔はもと約5メートル高く、三層であった可能性が指摘されている。上下二層にそれぞれ八つの部屋が中庭を囲んで並び、いずれも交差ヴォールトで覆われる。八つの塔のうち三つには螺旋階段が納められている。
入口は二か所あり、東を向く主入口はピラスターの細い縦溝の上にペディメントを載せる古典建築の構成をとる。フリードリヒ2世がギリシア・ローマの遺構に寄せた関心が、そのまま石に翻訳されている。一方、壁面を貫く尖頭アーチとリブによるヴォールトは、北ヨーロッパからシトー会を介して南イタリアへ伝わったゴシックの技術に負う。中庭に面した窓の割付や、失われた大理石の装飾には、シチリアを介して流入したイスラーム建築の感覚が指摘される。
堀も跳ね橋もなく、胸壁や矢狭間も乏しい。この点が「城ではない」という解釈を生んできたが、外郭壁の存在が確かめられれば、防御は外周に委ねられていたことになる。八角形の反復については、正方形(地)と円(天)を媒介する形と見る説、エルサレムの岩のドームやアーヘンの宮廷礼拝堂に着想を得たとする説などが提出されているが、いずれも仮説にとどまる。
意義・現在
この城は、地中海世界の三つの文化圏の語法を、一人の君主の意志のもとで単一の幾何学に統合した点で類を見ない。ユネスコは登録にあたり、中世軍事建築の比類ない傑作であると評した。一方で、八角形の反復や立地は神秘主義的な解釈を呼び込みやすく、テンプル騎士団との関係を語る説が広く流布してきた。歴史家ラッファエーレ・リチーニオはこれを退け、この城がフリードリヒ2世の築いたプーリアの城塞網の一つにすぎないことを繰り返し強調している。
現在は国有の文化財として公開されている。内部の大理石装飾は失われ、彫刻の断片が残るのみだが、光と影が八角の連なりを刻む中庭の空間は、往時の設計意図を今も直接に伝える。ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に登場する図書館の構造は、この城から着想を得たとされる。
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