エチミアジン大聖堂 Etchmiadzin Cathedral
アルメニア中西部ヴァガルシャパトにある、アルメニア使徒教会の総本山の大聖堂。4世紀初頭の創建と伝えられ、483/484年の再建で四方にアプスを張り出す十字形平面とドームの構成が定まった。2000年に世界遺産に登録された。
§1 — 概要概要
エチミアジン大聖堂(Etchmiadzin Cathedral / Էջմիածնի Մայր Տաճար)は、アルメニアのアルマヴィル地方、ヴァガルシャパト(エチミアジン)にある大聖堂である。全アルメニア人のカトリコス(総主教)が座す「聖エチミアジン母座」の中心にあり、アルメニア使徒教会の母教会とされる。アルメニア王国が4世紀初頭にキリスト教を国教とした直後、啓蒙者グレゴリオスが建てたと伝えられ、現存する最古の大聖堂と呼ばれることも多い。
「エチミアジン」はアルメニア語で「独り子の降臨」を意味し、天から降りた人物が金の槌で地を打って聖堂の場所を示したという、グレゴリオスの幻視の伝承にもとづく。ただしこの名が定着したのは15世紀以降である。2000年、市内の聖フリプシメ教会や聖ガヤネ教会、ズヴァルトノツ大聖堂の遺跡とともに世界遺産に登録された。
歴史
伝承では、大聖堂は301年から303年にかけ、当時の都ヴァガルシャパトの王宮の近くに、異教の神殿の跡を襲って建てられた。1950年代の発掘では祭壇の下からウラルトゥ時代の石碑が見つかり、現在の柱の下には古い柱の基礎も確認された。ただし創建時の形については、三廊式のバシリカとする説と、4本の柱でドームを支える方形の堂とする説があり、決着していない。
4世紀後半にペルシアの侵攻で大きく損なわれ、450年にはペルシア王が堂内に拝火の祭壇を設けた。現在の建物の中核は、ペルシア支配下のアルメニア総督ヴァハン・マミコニアンが483/484年に土台から再建したもので、十字形の平面とドームという骨格はこのとき定まったとみられる。カトリコスの座はまもなくドヴィンへ移ったが、1441年に戻り、大聖堂も修復された。
1604年にはサファヴィー朝のアッバース1世の軍が大聖堂を略奪し、祭壇の石などをイスファハン近郊のノル・ジュガへ運ばせた。1627年からの修復でドーム・屋根・基礎が改められ、1654年から1658年にかけて西側に鐘楼が、1682年には残る三方のアプスの上に小さな鐘楼が加えられた。1712年から1721年には画家ナガシュ・ホヴナタンが堂内に壁画を描き、1868年には東端に宝物を納める聖具室が増築された。
1923年に南のアプスが崩れると、建築史家トロス・トラマニアンの指導で修復され、ソビエト・アルメニアで最初の文化財修復となった。1950年代には在外アルメニア人の寄付で改修が進んだ。2012年に始まった屋根とドームの補強は、構造の傷みが判明したことで全面修復に広がり、2024年9月に大聖堂は再び聖別された。

建築的特徴
平面は、ほぼ正方形の堂の四辺にアプスを張り出した十字形である。アプスは内側が半円、外側が多角形で、テトラコンクの一種に数えられる。堂内には十字形断面の独立柱4本が立ち、多角形のドラムを介して、アルメニアの教会堂に特有の円錐形の屋根をいただくドームを支える。外形は長さ約33メートル、幅約30メートルで、ドームの頂は地上約34メートルに達する。4本の柱が中央のドームを支える構成は、祭壇を覆うチボリウムになぞらえられ、アルメニア建築史では「エチミアジン型」と呼ばれる。同時代の類例は少なく、7世紀のバガランの聖テオドロス教会(現存しない)がほぼ唯一とされる。
外観では、時代の異なる部分を色で見分けられる。5世紀の中核部は灰色の石で積まれ、17世紀の鐘楼や小塔は赤い凝灰岩で造られている。三層からなる西の鐘楼は、アーチと柱を重ねた開放的な構成で、植物文や人物の浮彫が表面を覆う。北壁には、聖テクラと使徒パウロを表した浮彫や、ギリシア語の銘を添えた十字架の浮彫がはめ込まれている。制作年代には諸説あるが、アルメニアのキリスト教彫刻として最も早い例の一つとされる。


堂内は、花や鳥、唐草を描いたペルシア美術の影響の濃い壁画で埋め尽くされ、18世紀から19世紀にかけてホヴナタニアン家の画家たちが描き継いだ。ドームの壁画と主祭壇の聖母像には、ナガシュ・ホヴナタンの筆が今も残る。

意義・現在
たび重なる改築を経た大聖堂の当初の姿を復元することは難しい。それでも5世紀に定まった平面はほぼ保たれ、灰色の中核部と赤い増築部が、各時代のアルメニア建築を一つの建物に重ねて見せている。世界遺産の登録では、周辺の教会群とあわせ、中央にドームをいただく十字形の聖堂がアルメニアで発展していく過程を示す点が評価された。
その平面は、19世紀にアルメニア建築の伝統を見直す動きのなかで規範とされ、シュシのガザンチェツォツ大聖堂(1868年)などの手本となった。在外アルメニア人がシンガポールやパリに建てた教会堂にも、この形式が取り入れられている。大聖堂は現在も全アルメニア人のカトリコスの座であり、最大の巡礼地である。境内の宝物館には、かつてゲガルド修道院に伝来した聖槍が収められている。