EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
アレッポの大モスク
© Vyacheslav Argenberg / CC BY 4.0
FIG. 01 — Q1481968
様式 · イスラーム建築 時代 · 中世 類型 · 宗教建築 ★ 世界遺産「古代都市アレッポ」の構成資産(1986年登録、2013年から危機遺産)

アレッポの大モスク Great Mosque of Aleppo

جامع حلب الكبير

シリア北部アレッポの旧市街に立つ同市最大のモスク。8世紀初頭にウマイヤ朝が創建し、現在の建物は11〜14世紀の再建と改修による。1090年に建設が始まった方形のミナレットは2013年の内戦で倒壊し、再建を経て2026年に全面再開した。

FIG. 02 — Location36.1995° N 37.1569° E
シリア アレッポ県 アレッポ
§1 — 概要

概要

アレッポの大モスク(Great Mosque of Aleppo / جامع حلب الكبير)は、シリア北部の都市アレッポの旧市街、アル=ジャッルーム地区にある同市最大のモスクである。8世紀初頭にウマイヤ朝のもとで創建されたことから、「アレッポのウマイヤ・モスク」とも呼ばれる。中庭を礼拝室と回廊が囲む構成はダマスカスのウマイヤ・モスクにならうが、現在の建物の大半は11世紀から14世紀にかけての再建と改修によるものである。内部には洗礼者ヨハネの父ザカリアの遺骸を納めると伝えられる墓があり、旧市街は1986年にユネスコ世界遺産「古代都市アレッポ」に登録された。

歴史

敷地はヘレニズム期にはアゴラ(広場)にあたり、ローマ支配下のキリスト教時代には聖ヘレナ大聖堂に付属する庭と墓地になっていた。モスクの創建については伝承が分かれる。後世の記録は、ウマイヤ朝カリフのワリード1世が715年に着工し、後継のスライマーンが717年に完成させたとする。13世紀のアレッポの史家イブン・アル=アディームは、スライマーンが兄の建てたダマスカスの大モスクに並ぶものを意図したと伝えている。これに対し建築史家ジェア・バカラクは、当時この地方の総督を務めていた兄弟マスラマ・イブン・アブドゥルマリクを実際の建設者とみている。

ウマイヤ朝期の建物は、その後の戦乱と火災でほとんど失われた。11世紀後半にはミルダース朝が中庭に泉亭を設け、1090年にはセルジューク朝の支配下で、北西隅に高さ約45メートルのミナレットの建設が始まった。発願したのはアレッポのカーディー(裁判官)アブー・アル=ハサン・ムハンマドで、工事を担った建築家としてハサン・イブン・ムファッラジュ・アッ=サルミーニーの名が伝わる。塔は1094年に完成した。

1169年の大火のあと、ザンギー朝のヌールッディーンがモスクを再建し、規模を広げた。1260年にはモンゴル軍の侵攻で破壊され、1281年にも再び焼かれている。続くマムルーク朝は修復を重ね、スルタン・カラーウーンが1285年に焼失したミフラーブを造り直し、アン=ナースィル・ムハンマドの治世には新しいミンバルが据えられた。2003年には中庭とミナレットが修復されている。

シリア内戦で旧市街は戦場となり、モスクは2012年10月の戦闘で大きな損傷を受けた。2013年4月24日にはミナレットが戦闘のさなかに倒壊した(破壊の責任をめぐる双方の主張は対立している)。礼拝室の焼損や壁の崩落に加え、収蔵品の略奪も起きている。修復は2017年に始まり、2025年11月からはアレッポのワクフ(宗教寄進財産)局の直接の監督で工事が再開された。2025年3月のラマダーン月には一時的に礼拝が行われ、2026年10月8日、ミナレットの再建を含む工事を終えて全面的に再開した。

建築的特徴

平面は、広い中庭の四周を礼拝室と回廊が囲む多柱式の構成をとる。中庭の舗床は白と黒の石を組み合わせた幾何学文様で知られ、屋根付きの清めの泉亭2基と日時計が置かれている。

中庭の南にある主礼拝室は、キブラ壁と平行に走る3廊からなり、四角い柱が交差ヴォールトを支える。当初は平らな屋根の中央にドームを載せた形式だったが、マムルーク朝期に現在のヴォールト架構へ改められた。キブラ壁には深い半円形のミフラーブがうがたれ、その左手の南壁沿いにザカリアの墓とされる廟がある。中庭の東・北・西にも広間が付き、東の広間はセルジューク朝のマリク・シャーの時代、北の広間はマムルーク朝のバルクークの時代に手が入ったが、北の広間は11世紀の性格をよく残す。西の広間は大部分が近代の造りである。

もっとも名高いのはミナレットである。平面方形の塔身は5層からなり、頂部にバルコニーをめぐらせ、その下をムカルナスのコーニスで区切る。外壁は良質の切石積みで、各層には多弁形のアーチや連続する繰形が刻まれ、クーフィー体とナスフ体の銘文帯が塔をめぐる。アレッポのイスラーム期の建造物のなかでも浮彫装飾がとりわけ密で、研究者はその意匠に、イスラーム以前の北シリアの石造聖堂から続く地域的な伝統を読み取っている。

意義・現在

アレッポの大モスクは、ウマイヤ朝が定めた中庭型の会衆モスクの形式が、北シリアの都市で王朝の交替ごとに上書きされていった過程を一つの建物のなかに示している。とくに11世紀末のミナレットは、シリアの石工の伝統とイスラームの装飾を結びつけた作例として、イスラーム建築史で独特の位置を占めてきた。

「古代都市アレッポ」は2013年からユネスコの危機遺産リストに記載されている。2026年に再建されたミナレットには、瓦礫から回収された元の石材の一部が積み直された。ただし現在の姿は度重なる再建の重なりであり、創建期の形をとどめる部分はほとんどない。

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LAST EDIT — 2026.10.22
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