ロンドン中心部、ペル・メルの西端に建つ王宮。1530年代にヘンリー8世が建てた赤煉瓦のテューダー様式で、北側の楼門が当時の姿を伝える。英国宮廷の公式名「セント・ジェームズ宮廷」の由来であり、王位継承評議会の場でもある。
§1 — 概要概要
セント・ジェームズ宮殿(St James's Palace)は、ロンドン中心部、ペル・メルとセント・ジェームズ・ストリートが出会う地点に建つ王宮である。1530年代にヘンリー8世が建てたテューダー様式の煉瓦造を核に、4つの中庭を囲む不規則な建物群からなる。君主の住まいとしての役割は19世紀にバッキンガム宮殿へ移ったが、英国の宮廷は現在も公式には「セント・ジェームズ宮廷(Court of St James's)」と呼ばれ、各国の大使はこの宮廷に派遣される形式をとる。王位継承評議会が開かれる場でもあり、ロンドンで最も格式の高い王宮とされる。
歴史
敷地には中世、小ヤコブ(聖ジェームズ)に捧げられたハンセン病患者の施療院があった。ヘンリー8世は1531年頃にこれを取得し、新たに囲い込んだ鹿苑(現在のセント・ジェームズ・パーク)に臨む狩猟の館として宮殿を建てさせ、主要部は1530年代半ばまでに完成した。当時の王の本拠はホワイトホール宮殿であり、セント・ジェームズは格式張った宮廷生活から離れるための小規模な離宮として扱われた。
1698年にホワイトホール宮殿が焼失すると、セント・ジェームズは君主のロンドンにおける主たる宮殿となり、宮廷行政の中心を担った。1702年に即位したアン女王は公式諸室(ステート・アパートメント)の拡張を命じ、1703年頃、王室工事局を率いるクリストファー・レンのもとで南側に新しい棟が加えられた。ハノーヴァー朝の最初の2王もここを本拠としたが、ジョージ3世が1762年にバッキンガム・ハウスを購入すると王家の私生活の場はそちらへ移った。1809年の火災では南東隅の君主の私室が焼失し、その部分は再建されなかった。1837年、ヴィクトリア女王がバッキンガム宮殿へ居を移したことで、主たる王宮としての役割は終わった。
建築的特徴
建物はカラー・コート、アンバサダーズ・コート、エンジン・コート、フライアリー・コートの4つの中庭を囲んで配置される。最もよく知られるのはセント・ジェームズ・ストリートに面した北側のゲートハウスで、4層の楼門の両端に胸壁を戴く八角形の小塔が立ち、中央の四心アーチの通路がカラー・コートへ通じる。最上層から妻壁にかけてを占める時計は1731年に加えられたものである。外壁は赤煉瓦を主体に、暗色の煉瓦で菱形のダイアパー模様を描き、窓枠などの要所に石を用いる。宮殿にはヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの頭文字「H.A.」の装飾が残る。
中庭の間に建つ王室礼拝堂(チャペル・ロイヤル)は1530年代に遡り、19世紀前半に大きく改装されたが、ルネサンス風の文様を描いた1540年の年記をもつ格天井を保っている。南側のセント・ジェームズ・パークに面する公式諸室の棟は、赤煉瓦の壁に胸壁を載せてテューダー部分と調子を合わせつつ、上げ下げ窓を整然と並べた18世紀初頭の構成を示す。内部では、テューダー期の暖炉が残る部屋がある一方、玉座の間にはグリンリング・ギボンズによる暖炉上部の彫刻、武器庫とタペストリーの間には1866〜67年のウィリアム・モリス商会による装飾が施され、時代ごとの改装が重なり合っている。
意義・現在
ハンプトン・コート宮殿とともに、ヘンリー8世時代の王宮建築を今に伝える例であり、イングランドの第一級指定建造物(Grade I)に登録されている。現在も宮廷の諸部局や王室コレクション部門などの事務所が置かれ、王族数名のロンドンでの住まいとして使われる現役の宮殿である。君主が崩御すると王位継承評議会がここに召集され、フライアリー・コートを見下ろす布告バルコニーから新君主の即位が宣言される。2022年9月10日のチャールズ3世の即位布告もこの場で行われた。内部は原則として公開されていないが、北側の楼門をはじめとする外観は周囲の通りから見ることができる。