聖マーガレット教会 St Margaret's Church, Westminster
ロンドン、ウェストミンスター寺院の北側に建つ英国国教会の教会。1482年から1523年にかけて寺院の石工棟梁らの手で垂直式ゴシックに再建され、1614年以来、庶民院の教会として議会と結びついてきた。
§1 — 概要概要
聖マーガレット教会(St Margaret's Church, Westminster)は、ロンドンのパーラメント・スクエアに面し、ウェストミンスター寺院の北側に寄り添って建つ英国国教会の教会である。アンティオキアの聖マルガリタに献げられ、1614年以来、庶民院(下院)の教会として議会の礼拝や議員の結婚式の場となってきた。寺院およびウェストミンスター宮殿とともに、1987年にひとつの世界遺産として登録されている。
現在の建物は1482年に始まり1523年に献堂された再建によるもので、隣の寺院のヘンリー7世礼拝堂とほぼ同じ時期に、王室工事を担った石工たちが手がけた後期垂直式の教区教会である。巨大な寺院の脇にあって規模は控えめだが、身廊と内陣を一続きにした明るい堂内に、テューダー朝のステンドグラスから1960年代の抽象ガラスまで、五世紀にわたる改変の層が重なっている。
歴史
起源は11〜12世紀にさかのぼる。寺院のベネディクト会修道士が、修道院の典礼と周辺住民の礼拝とを分けるため、住民のための簡素な教区教会を傍らに設けたのが始まりとされる。
15世紀末には建物の荒廃が著しく、1482年、寺院の石工棟梁ロバート・ストーウェルのもとで全面的な建て替えが始まった。身廊と側廊は1504年ごろまでに整い、西塔は1515年に着工、内陣は1518年ごろに完成して、1523年4月9日に献堂された。ストーウェルの没後の工事には同じく寺院の石工ヘンリー・レッドマンが関わり、西塔は彼の設計とされる。完成直後の堂内には聖母と聖ヨハネの彩色像を従えた大きな十字架像が立ち、宗教改革以前のカトリックの伝統で飾られたロンドン最後の教会と評される。
1540年代には、護国卿サマセット公エドワード・シーモアが自邸サマセット・ハウスの資材を得るために教会を取り壊そうとしたが、武装した教区民の抵抗で計画は阻まれた。1614年、寺院の儀礼的な典礼を嫌ったピューリタンの議員たちが議会の礼拝をここで行うようになり、以後、庶民院との結びつきが続いている。
18世紀には、1735年から37年にかけて建築家ジョン・ジェームズが中世の塔の大部分を作り直し、同じ時期に外壁全体がポートランド・ストーンで張り替えられた。1877年から78年にはジョージ・ギルバート・スコットが内部を大きく改修して現在の内観を整えた。西側の玄関ポーチはジョン・ラフバラ・ピアソンの設計である。第二次世界大戦の空襲では南側廊のヴィクトリア朝のステンドグラスが失われている。1972年の法律で教区は近隣の教区に移され、教会は寺院の首席司祭と参事会の管轄に戻った。

建築的特徴
身廊と内陣は仕切りなく通され、8区画の長い一室に南北の側廊が並ぶ。細い柱身を束ねた支柱が尖頭アーチのアーケードを支え、アーチの間の壁面にはトレーサリーが刻まれる。その上に高いクリアストーリーが連なり、堂内は隣の寺院の身廊と比べて明るい。外観では側廊の上に胸壁をめぐらせ、西端の塔は大きな鐘楼窓と、パネル装飾を施した胸壁を備える。外装は18世紀以降に張り替えられ、窓のトレーサリーも更新されている。
見どころはステンドグラスである。東窓は16世紀初頭のフランドル製で、キャサリン・オブ・アラゴンの婚約を記念してつくられたと伝えられる。もとはヘンリー7世がエセックスのウォルサム修道院に贈ったもので、修道院解散後は貴族の邸宅を転々とし、1758年に教区が400ギニーで買い取った。印刷業者ウィリアム・キャクストン、ここに葬られたウォルター・ローリー、教区民であった詩人ジョン・ミルトンらを記念する窓もある。南側廊の8窓は、戦災で失われたガラスに代えて1966年に画家ジョン・パイパーが設計し、パトリック・レインティエンスが制作した抽象的なガラスで、銀灰色を基調に淡い緑・黄・青が散らされている。

意義・現在
聖マーガレット教会は、テューダー朝初期の王室の石工棟梁が手がけた教区教会の遺例であると同時に、庶民院の教会として政治史の舞台でもあった。1655年にサミュエル・ピープス、1656年にジョン・ミルトン、1908年にウィンストン・チャーチルがここで結婚式を挙げた。1661年には、王政復古に伴って寺院から掘り出された共和政期の議員らの遺体が教会墓地に埋め直され、西入口脇の外壁に記念碑がある。
教区教会としての役割は1972年に終わり、現在は寺院と一体で管理されている。2020年に定例の日曜礼拝が取りやめられたが、のちに日曜夕方の聖餐式が再開された。