フライブルク大聖堂 Freiburg Minster
南ドイツ・フライブルクの大聖堂。1200年頃に着工され、高さ116メートルの透かし彫りの石造尖塔は、中世のうちに完成した数少ないゴシックの塔として名高い。後期ゴシックの内陣を1513年に献堂し、第二次大戦の空襲も生き延びた。
概要
フライブルク大聖堂(Freiburg Minster/独: Freiburger Münster)は、南西ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州のフライブルク・イム・ブライスガウに建つ大聖堂である。「ミュンスター(聖母教会)」として始まり、なかでも高さ116メートルの西塔は、透かし彫りの石造尖塔として中世ゴシックを代表する作例とされる。
歴史
建設は1200年頃、ツェーリンゲン家最後の当主ベルトルト5世によって、後期ロマネスク様式で始められた。1230年頃にはフランス由来のゴシック様式へと移行し、身廊と西塔は1330年頃に完成した。続く内陣(後陣)は1354年にヨハネス・フォン・グミュントのもとで着工されたが、ペストや経済的困難によって工事は長く中断する。1471年にハンス・ニーゼンベルガーが引き継いで再開し、1513年にようやく献堂された。着工以来、およそ300年を要した造営である。フライブルクが大司教座(大聖堂)となったのは1827年のことにすぎない。1944年の空襲では周囲の街並みが壊滅したが、大聖堂はほぼ無傷で残った。
建築的特徴
最大の見どころは、西正面にそびえる116メートルの塔である。八角形の構造の上に立つ約46メートルの尖端部は、石材をトレーサリー状に組んだ透かし尖塔として、全体を透かし細工で仕上げた最初期の完成例とされ、ウルムやベルンの塔の手本となった。身廊は尖頭アーチとリブ・ヴォールト、外部を支える飛梁によって壁を開き、バラ窓やステンドグラスから光を取り込む。一方、東側の交差部の周辺には、着工当初の後期ロマネスクの部分も残っている。
意義・現在
フライブルク大聖堂は、着工から竣工までを中世のうちに収めた数少ない大聖堂の一つであり、その塔は後世の建築家に長く規範とされた。建物は中世以来フライブルク市民の所有とされ、現在は1890年に設立されたミュンスター造営協会(ミュンスターバウフェライン)が維持・修復を担う。バウヒュッテ(造営工房)の伝統は800年にわたって途切れず受け継がれ、歴代の建築主任がその保存にあたっている。