スペイン北西部ア・コルーニャの岬に立つ古代ローマの灯台。1世紀末から2世紀初めにルシタニア出身の建築家ガイウス・セウィウス・ルプスが築き、18世紀末の改修を経て、いまも航路標識として使われる唯一のローマ灯台である。
§1 — 概要概要
ヘラクレスの塔(Torre de Hércules)は、ガリシア州ア・コルーニャの市街から北へ約2.4km、大西洋に突き出た半島の丘に建つ灯台である。ローマ時代の港町ブリガンティウムの灯台に起源をもち、20世紀まではラテン名ファルム・ブリガンティウム(Farum Brigantium)でも呼ばれた。古代ローマの灯台のうち、構造の大部分を保ったまま現在も船舶に光を送っているのはこの塔だけであり、古代の大西洋航路を伝える遺構として2009年に世界遺産に登録された。高さは約55mで、下部約34mがローマ時代の芯、上部約21mが18世紀の増築にあたる。
歴史
建設は1世紀末から2世紀初め、トラヤヌス帝の治世ごろとみられる。基部に残る碑は軍神マルスへの誓願の奉納として据えられたもので、アエミニウム(現ポルトガルのコインブラ)出身のルシタニア人建築家ガイウス・セウィウス・ルプスの名を刻む。この碑によって、設計者の名が伝わる数少ないローマ建築のひとつとなった。文献上の初出は5世紀初めで、歴史家オロシウスがブリガンティアにそびえる高い灯台に触れている。
ローマの支配が去ると灯台としての役目はいったん途絶え、中世には防御施設に転用されたとみられる。外周の壁と斜路は崩れ、石材は持ち去られた。中世の文献には、聖地へ向かう十字軍の船団がここに寄港し、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ陸路で参詣したことも記されている。17世紀後半、ガリシア総督ウセダ公が頂部へ上るための木造階段を設けたが、その際にローマ時代のヴォールトの一部が貫かれた。
現在の姿は1788年に始まる改修による。地元の商人団体である王立コンスラード(Real Consulado)が発議して費用を負い、国王カルロス3世の認可のもと、海軍技師エウスタキオ・ジャンニーニが工事を指揮した。改修は1791年に完了し、ローマの芯を新しい外装で包んで上層と灯室を加えた。
建築的特徴
ローマ時代の芯は正方形平面の石造で、内部は三層に分かれる。各層には十字形の壁で仕切られた四つの小室が並び、いずれも樽型ヴォールトで覆われる。ヴォールトには小石を石灰モルタルで固めたオプス・カエメンティキウムが使われた。古代にはこの芯の外側をもう一重の壁が取り巻き、そのあいだを螺旋状の斜路が頂部まで上っていた。各層の小室にはこの斜路から出入りしたと考えられ、塔は現在より太く低い量塊で、頂部には光と煙を逃がす開口をもつ円形の塔屋が載っていたと推定されている。1990年代の発掘では、外周壁の基礎をなした大きな切石が確認された。
ジャンニーニは失われた外皮を復元せず、残った芯を外装で覆って保護する方針をとった。外装は花崗岩で、四面とも同じ構成の簡素な新古典主義の立面に整えられ、開口は左右対称に並ぶ。その多くは見せかけの窓で、ローマ時代の小室の入口に一致するのは一部にすぎない。壁面を斜めに巻き上がる帯は古い斜路の痕跡をなぞったもので、外観に古代の記憶を引用している。頂部には一回り細い八角形の層が加えられ、その上に灯室が置かれた。内部の石段は17世紀の経路を踏襲してヴォールトを貫いて上り、途中では修理を重ねたローマ時代と中世の石積みを間近に見ることができる。
意義・現在
この塔の価値は、古代の灯台が構造と用途の両方を保ったまま現在に至った点にある。古代の灯台の多くが失われたなかで、ここではローマの芯が18世紀の工事でも壊されず、外装の内側に温存された。ユネスコはこの改修を、原構造を守りつつ灯台の機能を回復させた模範例として評価している。
名称は、英雄ヘラクレスが巨人ゲリュオンを倒してその首を埋め、上に町を築かせたという伝説に由来し、ア・コルーニャ市の紋章には髑髏と交差した骨の上に立つこの塔が描かれる。アイルランドの『侵略の書』に登場するブレオガン王の塔と重ねる伝承もあり、周囲の彫刻公園にはブレオガン像が置かれている。塔はスペインの文化財(BIC)に指定され、現役の灯台として運用されながら内部が公開されている。