EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
サン=テチエンヌ大聖堂(ブールジュ)
© Gerd Eichmann / CC BY-SA 4.0
FIG. 01 — Q207985
様式 · フランボワイヤン 時代 · 中世 類型 · 宗教建築 ★ 世界遺産「ブールジュ大聖堂」(1992年登録)/世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成資産(1998年登録)

サン=テチエンヌ大聖堂(ブールジュ) Bourges Cathedral

Cathédrale Saint-Étienne de Bourges

フランス中部ブールジュに立つ、聖ステファノに献じられた大司教座聖堂。1195年に着工した盛期ゴシックの大作で、翼廊を省いた五廊式の統一空間と段状に高まる断面、13世紀のステンドグラスで知られ、1992年に世界遺産に登録された。

FIG. 02 — Location47.0822° N 2.3992° E
フランス サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏 ブールジュ
§1 — 概要

概要

サン=テチエンヌ大聖堂(Cathédrale Saint-Étienne de Bourges)は、フランス中部の都市ブールジュにあるカトリックの大聖堂で、初期キリスト教の殉教者聖ステファノ(フランス語でエティエンヌ)に献じられ、ブールジュ大司教の座が置かれている。世界遺産の登録名から「ブールジュ大聖堂」とも呼ばれる。12世紀末にシャルトル大聖堂とほぼ同じ時期に着工したが、平面と断面はまったく異なる道を選んだ。翼廊を持たない五廊式の一体的な内部空間は、盛期ゴシックのもう一つの解答として建築史上に独自の位置を占める。

歴史

現在地では古代末期以来、聖堂の建て替えが重ねられ、11世紀前半に大司教ゴズランが建てたロマネスク聖堂の一部は現聖堂の地下に残る。1195年、大司教アンリ・ド・シュリーが新聖堂のために寄進を行い、これが現在の建物の起点となった。

工事は東端から始まった。旧市壁の跡にかかる斜面に内陣を張り出すため、まず内陣の下に下部教会(地下聖堂)を築いて基壇とし、その上に内陣を建てて1214年ごろまでにほぼ仕上げた。後任の大司教ギヨーム・ド・ドンジョンが1209年に没し、ほどなく列聖されると、巡礼者と寄進が集まって工事を支えた。10年ほどの中断を挟んで1225年ごろから身廊と西正面に取りかかり、1230年代には主体構造がほぼ整った。小屋組とヴォールトが完成したのは1250年代である。最初の設計者「ブールジュの親方」の名は伝わらないが、後継の棟梁たちはその計画を大きく崩さなかった。

西正面の塔は難題であり続けた。南塔は基礎が弱く、1313年ごろに巨大な控え壁で補強されたものの鐘を吊ることができず、「聾の塔(トゥール・スールド)」の名で呼ばれる。北塔は1324年の献堂後も未完のまま残り、15世紀末にようやく完成したが、1506年12月31日に崩落した。再建には1508年から約30年を要し、四旬節にバターを口にする特免と引き換えの献金が財源の一部となったことから「バターの塔(トゥール・ド・ブール)」と呼ばれる。工事にはアンボワーズやガイヨンで実績のあるコラン・ビアールらが招かれ、地元のギヨーム・ペルヴォワザンが完成まで引き継いだ。崩落で傷んだ西正面中央上部(グラン・ウストー)も、このときフランボワイヤン・ゴシックの大窓とバラ窓に作り直された。

1424年には天文時計が据えられた。1562年には宗教戦争で町を占拠したプロテスタント軍が扉口の彫刻を損なった。18世紀には内陣が当世風に改められ、中世のジュベ(内陣障壁)が撤去されて、一部のステンドグラスが無色のグリザイユ窓に替えられた。革命期の「理性の神殿」への転用を経て、19世紀の修復では控え壁や屋根まわりに史料的根拠の乏しい小尖塔や手すりも加えられた。

建築的特徴

最大の特徴は翼廊を持たないことである。西正面から東端まで内部長さ約118メートルの空間が途切れずに続き、身廊の両側に二列ずつの側廊を置く五廊式の平面をとる。二重の側廊はそのまま内陣を巡る二重の周歩廊へとつながる。二重側廊はノートルダム大聖堂(パリ)と共通するが、ブールジュは内側の側廊を外側よりはるかに高くし(ヴォールト頂部約21メートル)、中央の身廊(37.15メートル、パリのノートルダムは約33メートル)へ向けて三段に高まるピラミッド状の断面とした。内側の側廊にもアーケード・トリフォリウム・高窓の三層が与えられ、身廊の三層と入れ子のように重なるため、二重側廊の建物としては異例なほど光が奥まで届く。外では段状の屋根をフライング・バットレスが二段に跳び越え、この構成は東端の外観で最もはっきり読み取れる。

身廊の天井は二つの柱間をひと組で覆う六分ヴォールトで、柱は荷重の受け方に応じて太さの異なるものが交互に並ぶ。シャルトルが柱間ごとの四分ヴォールトで新しい標準を示したのに対し、ブールジュは初期ゴシックの架構を引き継ぎながら、空間の統一と高さを押し進めた。

西正面は幅約55メートルで、当時の大聖堂として最多の五つの扉口が並ぶ。中央扉口のティンパヌムは最後の審判を表し、右隣には守護聖人ステファノの生涯が刻まれる。南北の側面扉口には、旧聖堂のために1160年代ごろ制作されたロマネスクの彫刻扉口が再利用されている。内陣と周歩廊には13世紀初頭のステンドグラスがまとまって残る。

意義・現在

二重側廊と段状断面による統一空間というブールジュの構想は、同時代の主流にはならなかったが、トレド大聖堂やル・マン大聖堂の内陣に受け継がれた。シャルトル型と並ぶ、盛期ゴシックのもう一つの系譜を示す建物である。1862年にフランスの歴史的記念物に指定され、1992年にユネスコ世界遺産に登録された。1998年には「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成資産にも含まれている。現在も大司教座聖堂として使われ、北塔と地下聖堂は国立記念物センター(CMN)の管理のもとで公開されている。

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LAST EDIT — 2026.10.24
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