オランダ式バロック建築(オランダ古典主義)
Dutch Baroque architectureオランダ式バロック建築(Dutch Baroque architecture)は、17世紀のネーデルラント連邦共和国(オランダ)で展開した建築様式である。曲面と劇的な装飾で運動感を追求したイタリアやフランスのバロックに対し、オランダのそれは古典的な比例と簡素さを重んじた点に特色があり、しばしば「オランダ古典主義(Hollands classicisme)」とも呼ばれる。煉瓦と砂岩を組み合わせた壁面、ピラスターと軒蛇腹による落ち着いた構成、ペディメント(破風)を頂く左右対称の立面を特徴とし、過度の彫刻装飾を避ける。在来の階段状破風(トラップヘフェル)のような要素も、古典的な秩序のもとに整理し直された。
この端正さは、海洋交易で栄えた商人共和国の気風と分かちがたく結びついている。王侯の壮麗さよりも節度を尊ぶ姿勢は、古代の古典建築を範として共和的・市民的な価値を表そうとする意識に支えられていた。様式を主導したのは、画家として出発しイタリアでパッラーディオを学んだヤコブ・ファン・カンペンである。その設計によるアムステルダム市庁舎(現・王宮)は共和国の威信を体現する大事業であり、デン・ハーグのマウリッツハイスは、大きな窓をもつ簡素な直方体として邸宅建築の規範となった。ほかにピーテル・ポストの諸作や、ヤコブ・ローマンによるヘット・ロー宮殿(オラニエ公の夏の離宮)などが代表に挙げられる。
その影響は国外にも広く及んだ。オランダの建築家は北ドイツ・スカンディナヴィア・ロシアの重要な計画に招かれ、各地に古典的バロックの規範を伝えた。本データベースが収める救世主教会(コペンハーゲン)も、デンマークに渡ったこの様式の所産である。イングランドでは、その簡素な古典主義がクリストファー・レンの作風を先取りし、1688年の名誉革命を経て即位したウィリアム3世とメアリー2世の時代に、オランダ風の意匠が宮廷へ持ち込まれた。先行する後期ルネサンスの比例感覚を受け継ぎつつ、続く18世紀には、より厳格で考古学的な新古典主義へと連なっていった。