スペイン北部、カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴスの大聖堂。1221年にフランス盛期ゴシックに倣って着工し、15〜16世紀にケルン出身のコロニア一族らが透かし尖塔や礼拝堂、交差部の採光塔を加えた。1984年に大聖堂単独で世界遺産に登録された。
§1 — 概要概要
ブルゴス大聖堂(Catedral de Burgos)は、スペイン北部の都市ブルゴスの旧市街に立つカトリックの大聖堂で、聖母マリアに献じられている。13世紀にフランスの盛期ゴシックを範として建てられた本体に、15〜16世紀の後期ゴシックとルネサンス、18世紀のバロックの礼拝堂や装飾が重なり、500年余りにわたる造営の積み重ねが一つの建物に凝縮されている。トレド、レオンの大聖堂とともにスペイン・ゴシックの古典期を代表し、1984年には都市の歴史地区と切り離して、大聖堂単独でユネスコの世界遺産に登録された。
歴史
ブルゴスは1075年に司教座となり、11世紀末にはロマネスクの聖堂が完成したが、カスティーリャ王国の象徴的な首都として発展する都市には手狭になった。1221年7月20日、国王フェルナンド3世と司教マウリシオの立ち会いのもとで新聖堂の礎石が置かれる。マウリシオはフランスとドイツを旅して当地の新しい大聖堂を見ており、最初の工匠も彼が招いたフランス人とみられている。13世紀半ばにはフランス出身と推定されるエンリケ親方が工事を率い、1260年に献堂式が行われた。旧聖堂は新聖堂の工事の進行とともに取り壊された。
15世紀には、司教アロンソ・デ・カルタヘナのもとでケルン出身のフアン・デ・コロニアが工匠長となり、1442年から58年にかけて西正面の両塔に透かし彫りの尖塔を載せた。子のシモン・デ・コロニアは1482年、カスティーリャの大元帥ペドロ・フェルナンデス・デ・ベラスコ夫妻の墓所として、内陣奥の軸線上にコンデスタブレ礼拝堂の建設を始めた。1519年にはディエゴ・デ・シロエが北翼廊の「黄金の階段」の制作を任されている。フアン・デ・コロニアが交差部に架けた塔は1539年3月の夜に崩落したが、フアン・デ・バリェホらの手で1568年までに再建された。18世紀にはサンタ・テクラ礼拝堂や聖具室が加わった。
19〜20世紀に様式の改変を伴う大規模な修復を免れたことは、各時代の作品がそのまま残る一因となった。彫像の落下事故を機に1994年から本格的な保存修復が始まり、長期の事業として続けられてきた。
建築的特徴
平面はラテン十字形で、三廊式の身廊に翼廊と周歩廊付きの内陣が続く。三層からなる西正面の下二層は13世紀のもので、パリやランスの大聖堂に通じるフランス・ゴシックの構成をとり、中層には六芒星形のトレーサリーを嵌めたバラ窓が開く。その上に、フアン・デ・コロニアによる高さ約88メートルの八角形の透かし尖塔が載る。石材を骨組みだけに削ぎ落としたこの尖塔はドイツ後期ゴシックの技法を伝え、大聖堂の輪郭を決定づけた。内部の立面はブールジュ大聖堂に倣い、建物全体は近郊オントリア・デ・ラ・カンテラ産の石灰岩で築かれている。
南翼廊のサルメンタル門は1230〜40年ごろの作で、玉座のキリストと四福音書記者を刻むティンパヌムには、アミアン大聖堂の彫刻の影響が指摘される。交差部のシンボリオは二層の八角形の採光塔で、後期ゴシックの骨組みにルネサンス的な装飾を重ねる。内側は八芒星形の二重の星形ヴォールトで閉じられ、リブの間を満たす透かし細工を通して天光が落ちる。内陣奥のコンデスタブレ礼拝堂も八角形の単一空間で、中心を透かしとした星形ヴォールトが天井を覆い、壁面は巨大な紋章と彫像で埋め尽くされている。北翼廊では、路面が堂内の床より数メートル高い門とのあいだを、ディエゴ・デ・シロエによるルネサンス様式の「黄金の階段」が結ぶ。
意義・現在
ブルゴス大聖堂の価値は、13世紀のフランス・ゴシックの受容から、ドイツ系工匠による後期ゴシック、プラテレスコを経たルネサンスへの移行までを、一つの建物のなかでたどれる点にある。身廊の中央を占める聖歌隊席、交差部の採光塔、相次いで増築された墓所礼拝堂という、スペインの大聖堂に特有の要素も典型的なかたちで揃う。交差部の床下には1921年からレコンキスタの英雄エル・シッドとその妻ヒメナの墓が置かれ、時刻を告げて口を開く18世紀の自動人形「パパモスカス」も親しまれている。
サンティアゴ巡礼路「フランス人の道」の要衝に立ち、巡礼者を迎えてきたこともこの聖堂の性格を形づくった。現在も大司教座聖堂として典礼が行われており、2021年には着工から800年を迎えた。