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特集 — FEATURE

スタジアムの百年——アーチボルド・リーチからポピュラスへ

A Century of Stadiums: From Archibald Leitch to Populous

名築編集部 公開

トッテナム・ホットスパー・スタジアム
© Arne Müseler / arne-mueseler.com / CC BY-SA 3.0 de
トッテナム・ホットスパー・スタジアム

英国のサッカー場は、20世紀前半にスコットランドの技師アーチボルド・リーチが形を定め、21世紀にはスポーツ建築の専門事務所ポピュラスが描き直した。名築が収録する公開済みの建物のうち、リーチの手になる競技場は13件、ポピュラスが関わった競技場は19件ある。前者はすべて英国にあり、後者は11か国に散らばる。

本稿はこの32件を、同じ場所で建て替えられた新旧の本拠地を軸に並べ、百年のあいだの変化を読む。屋根つきの一棟と立見席から全席の器へ、継ぎ足す競技場から規模を変える前提の競技場へ、そして地名から企業名への変化である。

前史:工場の技師が観客席を組む

アーチボルド・リーチ(1865–1939年)は、グラスゴーで工場の設計を手がけていた技師である。1899年、少年時代から応援していたレンジャーズの新しい本拠地アイブロックス・パークを任されたことが、競技場設計に入るきっかけとなった。

3年後の1902年、そのアイブロックスで木造の立見席が崩れ、25人が亡くなった。現場に居合わせたリーチは再建を引き受け、立見席を補強する新しい方式で特許を得ている。評価は傷ついたが、その後の四半世紀、リーチは英国で最も多くの競技場を手がける設計者となった。

リーチの型:屋根つきの一棟と三方の立見席

名築が収録するリーチの競技場13件は、すべてイングランドとスコットランドにある。そのうち少なくとも8件は、すでにあるグラウンドにリーチが観客席を加えたものである。スタンフォード・ブリッジは1877年に陸上競技場として開かれ、1905年にリーチのスタンドを得てサッカー場となった。アンフィールドでは1906年の改修で、のちに「コップ」と呼ばれる立見席が築かれた。ヴィラ・パークは開場から四半世紀後の1922–24年に、ローカー・パークは31年後の1929年に、リーチのスタンドを迎えている。新しい敷地で一から設計した例には、エアーサム・パーク(1903年)、オールド・トラッフォード(1910年)、アーセナル・スタジアム(1913年)、セルハースト・パーク(1924年)がある。

仕事の多くは、屋根のかかるスタンドを一棟建て、残りを屋根のない立見席で囲むものであった。オールド・トラッフォードでは、南側のスタンドだけに屋根と約1万2千の座席を設け、三方を立見席とした。リーチは当初10万人の収容を構想し、費用を抑えるために8万人へ縮めている。スタンフォード・ブリッジでも、屋根つきのグランドスタンドは東側の一基だけで、10万人を超える観客を見込んでいた。

アーチボルド・リーチが描いたヴィラ・パークの鳥瞰図。長辺に屋根つきのスタンド、両端に屋根のない立見席が広がる
リーチによるヴィラ・パークの拡張計画図(1914年)。屋根のかかるスタンドは長辺だけで、両端は屋根のない立見席が埋めるアーチボルド・リーチ(1914年) / パブリックドメイン — Wikimedia Commons

スタンドの意匠にも型があった。ホワイト・ハート・レーンの西スタンド(1909年)やクレイヴン・コテージのスタンド(1905年)は、屋根の妻面の破風にクラブの名や意匠を掲げた。グディソン・パークなどでは、上層席の前面の手すりに鋼材を斜めに交差させた格子を用い、これがリーチの目印となった。工場の鉄骨構造をそのまま観客席に持ち込んだ、実用本位の型である。

記念碑になったスタンド

実用本位の型の一方で、1920年代から30年代には、スタンドの正面を記念碑のように飾る例が現れる。

ヴィラ・パークのトリニティ・ロード・スタンド(1922–24年)は、リーチの作品のなかでも異色である。ステンドグラスとイタリア風のモザイクを備え、正面にはアストン・ホールに倣ったオランダ風の破風を連ねた。批評家サイモン・イングリスは、これをフットボールのセント・パンクラス駅にたとえている。

煉瓦造のスタンド正面。オランダ風の破風が連なり、AstonとVillaの文字が掲げられている
1980年のトリニティ・ロード・スタンド。破風を連ねた正面は2000年に解体されたSteve Daniels / CC BY-SA 2.0 — Wikimedia Commons

ハイバリーの通称で知られたアーセナル・スタジアムは、リーチの設計で1913年に開場した後、1932年にクロード・フェリエの西スタンド、1936年にウィリアム・ビニーの東スタンドを得た。いずれも鉄筋コンクリートによるアール・デコの建物で、上屋を片持ちで張り出し、視界を遮る柱を減らした。リーチの手ではないが、1923年に開場した旧ウェンブリー・スタジアムも同じ時代の産物である。大英帝国博覧会の中核施設として約300日で築かれ、正面の双塔が帝国の威信を表した。

これらの行方は分かれた。クレイヴン・コテージのスタンドとハイバリーの東・西スタンドは登録建造物となって残り、トリニティ・ロード・スタンドは2000年に、旧ウェンブリーは2002年から03年にかけて解体された。

立見席の終わり:テイラー報告と全席化

1989年のヒルズボロの惨事を受け、1990年1月にテイラー報告の最終報告がまとまった。報告は観客席をすべて座席にするよう勧告し、イングランドの上位2部とスコットランドの最上位のクラブは、1994年までに全席化を求められた。リーチの型を支えてきた立見席は、ここで退場を命じられたことになる。

建物ページの数字を並べると、立見の時代の規模がわかる。

  • ハムデン・パーク:1937年の国際試合で14万9415人 → 現在は全席で約5万2千人
  • ホワイト・ハート・レーン:1938年に7万5038人 → 全席化後は3万6284人
  • グディソン・パーク:最大で8万人近く → 約4万人
  • モリニュー・スタジアム:最高6万1315人 → 約3万1750人

全席化に応じきれなかった競技場は、移転を選んだ。最盛期に7万人を超える観客を集めたエアーサム・パークからは1995年に、ローカー・パークからは1997年にクラブが去り、いずれも解体されて住宅地となった。ローカー・パークの主スタンドの交差格子は、移転先の競技場の駐車場に断片が残されている。ハイバリーもまた、全席化で減った収容を周辺住民の反対で取り戻せず、2006年にクラブが去った。

同じ場所に建て直す

ウェンブリーでは、旧スタジアムを解体した跡に、ポピュラスとフォスター・アンド・パートナーズがウェンブリー・スタジアム(2002–07年)を建てた。双塔に代わる象徴は、高さ約133メートル、315メートルにわたって架け渡された鉄骨のアーチである。アーチが屋根の大半を支えるため場内に柱がなく、約9万の座席のどこからもピッチが見通せる。立見を含めて十数万人を入れた旧スタジアムより収容は少ないが、全員に座席がある。

ホワイト・ハート・レーンは2017年に閉じられ、ほぼ同じ敷地にトッテナム・ホットスパー・スタジアム(2015–19年)が建った。ゴール裏には一枚の巨大な単層スタンドが据えられ、雄鶏の像や立見区画「ザ・シェルフ」といった旧競技場の記憶も引き継がれた。一方で、天然芝のピッチは三分割されて格納庫へ引き出され、その下からアメリカンフットボール用の人工芝が現れる。ホスピタリティの空間や醸造設備まで抱えた新しい本拠地は、試合のない日にも収益を生む装置として設計されている。収容は約6万2850人で、閉場時の旧競技場の1.7倍にあたる。

ゴール裏を一層の観客席が埋め、屋根の上に雄鶏の像が立つ
トッテナム・ホットスパー・スタジアムの南スタンド。ゴール裏を一層の観客席が占め、屋根の上に雄鶏の像が立つBluejam / CC BY-SA 4.0 — Wikimedia Commons

ハイバリーを去ったアーセナルは、隣接するアシュバートン・グローブにエミレーツ・スタジアム(2004–06年)を建てた。約6万人を収める四層のボウルを、四基の巨大なトラスから張り出す屋根が覆う。旧競技場は集合住宅「ハイバリー・スクエア」に改められ、東・西スタンドの躯体は住戸を抱えて残り、かつてのピッチは住民の庭園になった。

国の競技場でも、同じ敷地での建て替えが続いた。ウェールズのミレニアム・スタジアム(1997–99年)は旧国立競技場カーディフ・アームズ・パークの敷地に、アイルランドのアビバ・スタジアム(2007–10年)は旧ランズダウン・ロードの跡地に建っている。

一つの事務所が世界の大会を設計する

ポピュラスの起点は、米国の設計事務所HOKが1983年に設けたスポーツ施設の部門である。1998年にロンドンとブリスベンに拠点を置くLOBBパートナーシップと合併し、2009年に経営陣の買収でHOKから独立して現在の名となった。名築に収める最も早い例は、HOKスポーツ時代のハードロック・スタジアム(1985–87年)である。英国側のLOBBの系譜からは、スタジアム・オーストラリア(1996–99年)とミレニアム・スタジアムが生まれた。

名築でポピュラスと結ばれる公開済みの19件は、11か国にある。英国が6件、ロシアが3件、米国が2件で、残る8件はアイルランド、ポルトガル、フランス、南アフリカ、カタール、カザフスタン、ブラジル、オーストラリアに1件ずつある。リーチの13件がすべて英国にあるのとは対照的である。19件のうち11件は、オリンピック、ワールドカップ、欧州選手権、ラグビー・ワールドカップ、コモンウェルスゲームズ、ユニバーシアードといった国際大会を機に建てられるか、改築された。

大会のための競技場は、大会の後を前提に設計される。ロンドン・スタジアム(2008–11年)は、約2万5千席の常設の下層に取り外せる上層を載せ、五輪の8万人を収めた。スタジアム・オーストラリアは、五輪時の約11万人から2003年の改修で約8万人に組み替えられた。フィシュト・オリンピックスタジアムは、冬季五輪の後に屋根を開いて屋外のサッカー場となった。フォスター・アンド・パートナーズが主導し、ポピュラスが協働したルサイル・アイコニック・スタジアムは、大会後に座席を減らし、学校や商業施設を内部に取り込む計画である。コモンウェルスゲームズの会場としてアラップが設計したシティ・オブ・マンチェスター・スタジアムは、大会後に陸上トラックを外してサッカー場に改められ、2015年の増築をポピュラスが担った。リーチの競技場が数十年かけて観客席を継ぎ足していったのに対し、ここでは規模を変えることが設計の出発点に置かれている。

英国の外では、形で土地を語る例が目立つ。ヨハネスブルグのFNBスタジアムは土器カラバッシュを、ナタールのアレーナ・ダス・ドゥーナスは砂丘を、カザンのアク・バルス・アリーナは川に浮かぶ睡蓮を、フィシュトはファベルジェの卵とカフカスの雪嶺を、それぞれ外形の手がかりにした。英国内の作品がボウルと屋根の明快な構成にとどまるのに対し、大会を招いた都市では、競技場が土地の看板の役を負ったことがうかがえる。

名前にも変化が表れている。リーチの13件は、いずれも地名かクラブ名で呼ばれる。ポピュラスの19件では、エミレーツ、アビバ、ハードロック、ジレットなど11件が、命名権を得た企業の名を冠している。トッテナム・ホットスパー・スタジアムも、命名権の売却を前提とした暫定の名で開場した。競技場の名が売り物になったことは、建物が試合の日以外にも収益を求められるようになったことと表裏をなす。

むすび

リーチからポピュラスへの百年で、競技場は、一人の技師が工場の構法で組んだ観客席から、国際的な事務所が大会と興行のために設計する施設へと変わった。立見席は座席に、継ぎ足しは規模を変える計画に、地名は企業名に置き換わった。

変わらなかったものもある。グディソン・パークは、四方のスタンドがピッチに迫る「箱型」の構成で、選手と観客を間近に向き合わせた。トッテナムのゴール裏を一層で埋めるスタンドや、パルク・オリンピック・リヨンが四隅まで途切れなく客席で囲う構成は、観客をピッチに近づけるという同じ課題への、百年後の答えとも読める。各競技場の詳細は、下の表から個別のページで確かめられる。

掲載建物

Buildings in this feature
建物国都市着工–竣工設計者本稿での位置づけ
グディソン・パーク イギリス リヴァプール 1892 アーチボルド・リーチ リーチの型・全席化
ヴィラ・パーク イギリス バーミンガム 1896 — 1897 アーチボルド・リーチ 装飾のスタンド
クレイヴン・コテージ イギリス ロンドン 1896 — 1905 アーチボルド・リーチ リーチの型・保存
ホワイト・ハート・レーン イギリス ロンドン 1899 — 1934 アーチボルド・リーチ 旧本拠・同じ敷地で建替
ハムデン・パーク イギリス グラスゴー 1900 — 1903 アーチボルド・リーチ 立見の大群衆
オールド・トラッフォード イギリス マンチェスター 1909 — 1910 アーチボルド・リーチ リーチの型
アーセナル・スタジアム イギリス ロンドン 1913 アーチボルド・リーチ、クロード・フェリエ 旧本拠・住宅へ転用
ウェンブリー・スタジアム (1923) イギリス ロンドン 1922 — 1923 ジョン・ウィリアム・シンプソン、マクスウェル・エアトン、オーウェン・ウィリアムズ 旧国立・双塔
ハードロック・スタジアム アメリカ合衆国 マイアミガーデンズ 1985 — 1987 ポピュラス、ヘルムース・オバタ・カッサバウム HOKスポーツ時代
ミレニアム・スタジアム イギリス カーディフ 1997 — 1999 ポピュラス 同じ敷地で建替
ウェンブリー・スタジアム イギリス ロンドン 2002 — 2007 ポピュラス、フォスター・アンド・パートナーズ 新国立・アーチ
エミレーツ・スタジアム イギリス ロンドン 2004 — 2006 ポピュラス 新本拠・命名権
ロンドン・スタジアム イギリス ロンドン 2008 — 2011 ポピュラス、ビューロ・ハッポルド 縮小前提の五輪会場
トッテナム・ホットスパー・スタジアム イギリス ロンドン 2015 — 2019 ポピュラス 新本拠・同じ敷地

出典

Sources
  • 各建物の事実関係:本稿の掲載建物表と本文に挙げた名築の各建物ページ
  • リーチの経歴とアイブロックスの事故後の特許:Archibald Leitch(英語版Wikipedia)
  • ポピュラスの沿革(1983年の発足、1998年のLOBBとの合併、2009年の独立と改称):Populous Holdings(英語版Wikipedia)
  • テイラー報告と全席化の期限:Taylor Report(英語版Wikipedia)、All-seater policy(Sports Grounds Safety Authority)
  • シティ・オブ・マンチェスター・スタジアムの2015年の増築:City of Manchester Stadium(英語版Wikipedia)
  • ローカー・パークの交差格子の移設:File:Leitch lattice work stadium of light.jpg(Wikimedia Commons)

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扉画像: © Arne Müseler / arne-mueseler.com / CC BY-SA 3.0 de — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.10.21
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