EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

特集 — FEATURE

工事はなぜ数百年続いたか——ピサの斜塔からサグラダ・ファミリアまで15の建物 1173–2026

Why Did Construction Take Centuries? Fifteen Buildings from the Leaning Tower of Pisa to the Sagrada Família, 1173–2026

名築編集部 公開 最終更新

ケルン大聖堂
© Thomas Wolf, www.foto-tw.de / CC BY-SA 3.0 de
ケルン大聖堂

名築が収録する公開済みの建物のうち、着工と竣工の年がともに入っている1,070件で、二つの年が150年以上離れているものは77件ある。うち58件が宗教建築である。本稿はそこから、一つの計画が中断と再開を重ねて数百年を要した14件を選び、今も工事の続くサグラダ・ファミリアを加えた15件を取り上げる。

15件を着工の順に並べると、いくつかの傾向が見えてくる。工事を止めた理由は資金・地盤・戦争・宗教改革・設計者や施主の死とさまざまであったこと、中世に始まった大聖堂の多くを19世紀が仕上げたこと、一つの建物に様式が上下・前後に重なり、設計者が何代も替わったこと、そして「完成」という言葉そのものに幅があることである。

77件の「着工から竣工まで」

着工から竣工まで150年以上を数える77件には、性格の違うものが混じっている。ホーフブルク宮殿やルーヴル美術館のような宮殿は、一つの計画を完成させたのではなく、代々の君主が棟を足し続けた結果として長い年数をもつ。古代の聖域や城塞のなかには、何度も建て直された跡が一つのレコードにまとめられたものもある。本稿が取り上げるのは、最初に一つの計画があり、それが中断と再開を経て数百年後に仕上がった建物である。

77件の竣工年を世紀ごとに数えると、19世紀が15件で最も多い。本稿の15件でも、1813年のメキシコシティ・メトロポリタン大聖堂から1929年の聖ヴィート大聖堂までの約120年のあいだに、7件が完成している。中世の計画を誰がどのように引き継いだのかが、本稿の一つの軸になる。

工事はなぜ止まったか

15件の建物ページを読み比べると、工事を止めた理由は一つではない。

もっとも多いのは資金である。ケルン大聖堂は1473年ごろに工事が事実上止まり、レーゲンスブルク大聖堂は本体がおおむね整った約1520年に資金が尽きて、西の双塔は本来の半分ほどの高さで350年あまり放置された。マラガ大聖堂も資金難でたびたび中断し、1782年に南塔を欠いたまま工事を打ち切っている。

地盤と構造が止めた例もある。ピサの斜塔は三層目まで築かれた1178年ごろに傾きはじめ、折からの戦乱もあって工事はおよそ一世紀止まった。皮肉にもこの休止のあいだに地盤が締まり、早い倒壊を免れたと考えられている。ボーヴェ大聖堂では1284年に内陣のヴォールトが崩れ、1573年には高さ153メートルに達した交差部の尖塔が倒れた。

戦争と宗教の対立も工事を断った。聖ヴィート大聖堂は1419年に始まるフス戦争で中断し、西半分を欠いたまま約四世紀放置された。オルレアン大聖堂は1568年の宗教戦争で新教徒に交差部の柱を爆破され、再建は1601年に始まって、革命による中断をはさみ1829年に落成した。ウルム大聖堂の工事が16世紀に止まった理由について、名築の建物ページは構造上の問題を挙げるが、英語版Wikipediaは1543年の中断の背景として、宗教改革と、新航路の開拓による交易の変化がもたらした経済の停滞も挙げている。

設計者や施主の死が区切りになることもあった。ヒラルダの塔は1184年の着工直後に設計者アフマド・イブン・バーソが世を去り、カリフも遠征先で戦死して工事が止まった。ウェストミンスター寺院は、着工したヘンリー3世が1272年に没すると工事が止まり、残る身廊の建て替えは1376年まで再開されなかった。

内陣が完成し、身廊が組み上がりつつある19世紀半ばのケルン大聖堂。左の南塔の上にクレーンが載っている
1855年、工事を再開して13年目のケルン大聖堂。左の南塔の上には、15世紀から載ったままの木造のクレーンが見えるJohannes Franciscus Michiels / パブリックドメイン — Wikimedia Commons

19世紀が中世の大聖堂を仕上げた

中断した工事を動かしたのは、多くの場合19世紀であった。ケルン大聖堂では、1473年ごろから南塔の上に据えられたままの巨大な木造クレーンが、約400年にわたって街の空に残っていた。中世への関心の高まりと、当初の正面立面図の再発見、そしてプロイセン王家の後押しによって、1842年に工事が再開される。英語版Wikipediaによれば、費用の3分の2は同じ年に設立された市民の大聖堂建設協会が集め、残りをプロイセン国家が負った。1871年のドイツ帝国の成立ののち、この工事はドイツという国民の統合を象徴する事業とみなされるようになる。エルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナーとその後継者は中世の設計図に忠実に従い、大聖堂は1880年、着工から632年を経て完成した。

同じころ、ドイツの各地で同じことが起きている。レーゲンスブルクでは、中世のゴシックを「ドイツ本来の様式」とみなす機運のもと、国王ルートヴィヒ1世の命で1828年から1841年にかけて17世紀のバロックの改装が取り除かれた。そのうえで1859年から1869年に、フランツ・ヨーゼフ・デンツィンガーが双塔の尖塔を建ち上げた。ウルムでは1844年に工事が再開され、アウグスト・フォン・バイヤーのもと、15世紀にマテウス・ベブリンガーが描いた図面に基づいて1890年に西塔が完成する。英語版Wikipediaによれば、このときの塔は中世の図面より約10メートル高く改められた。

ドイツの外でも事情は似ている。プラハの聖ヴィート大聖堂は、19世紀のチェコ民族復興運動を背景に完成事業が再開され、ヨゼフ・モッケルが西正面と双塔を設計して、聖ヴァーツラフの没後千年にあたる1929年に竣工した。バルセロナのサンタ・エウラリア大聖堂では、長く未完であった正面が、実業家の寄進により1408年の構想図をもとにネオ・ゴシックで建てられ、中央の尖塔は1913年に完成した。ミラノのドゥオーモの正面は、1805年、イタリア王としての戴冠を控えたナポレオンの命で整えられている。

ゴシック・リヴァイヴァルの時代は、新しい建物を中世風に建てただけでなく、中世が残した未完の建物を中世の図面で仕上げる時代でもあった。各地の完成が国家や民族の記念と結びついたことは、ケルンとプラハの例がよく示している。

上へ、前へ:一つの建物に重なる様式

数百年のあいだに様式は移り変わる。15件の多くは、その移り変わりを一つの建物の上にそのまま残している。

もっとも分かりやすいのは、上へ積み重ねた例である。ヒラルダの塔の塔身は、ムワッヒド朝が大モスクのミナレットとして1198年に完成させたもので、外壁はセブカと呼ばれる煉瓦の網目文様に覆われる。1248年にカスティーリャがセビリアを征服したのちも塔は壊されず、大聖堂の鐘楼として使われ続けた。1558年から1568年にかけて、大聖堂の主任建築家エルナン・ルイス2世が頂部にルネサンス様式の鐘楼を積み増す。煉瓦の網目の上に石の彫刻が載る接合部は、二つの時代の異なる論理が同じ塔の上で出会う場所である。

煉瓦の網目文様に覆われた塔身の上に、白い石のルネサンス様式の鐘楼が積まれたヒラルダの塔
ヒラルダの塔の南面。網目文様に覆われたムワッヒド朝の塔身の上に、16世紀のルネサンス様式の鐘楼が載るJl FilpoC / CC BY-SA 4.0 — Wikimedia Commons

ピサの斜塔では、1372年にトンマーゾ・ピサーノが仕上げた最上部の鐘楼に、尖頭アーチなどゴシックの要素が加わった。マントヴァのサンタンドレア聖堂は、レオン・バッティスタ・アルベルティの設計で1472年に着工したが、アルベルティは同じ年に没している。身廊は1494年までに整い、堂を覆うドームは、後期バロックの建築家フィリッポ・ユヴァラの設計で1732年から1782年にかけて築かれた。初期ルネサンスの身廊の上に、260年後のバロックのドームが載ったことになる。

前後に重なる例もある。マラガ大聖堂は、ディエゴ・デ・シロエの案によるルネサンスの本体に、18世紀のバロックの正面が接ぎ木された。メキシコシティのメトロポリタン大聖堂は、約240年の工期を映して、外観の基本構成がルネサンス、内部の祭壇がスペイン・バロック、ドームと正面上部の欄干や彫像が新古典主義という三つの様式を一つの建物にもつ。最後にドームを仕上げたのはマヌエル・トルサであった。

逆に、様式を変えなかったことが特徴になった例もある。ウェストミンスター寺院の身廊の建て替えを1376年に再開したヘンリー・イーヴリーは、すでに百年前の設計であった当初案をほぼ忠実に踏襲した。オルレアン大聖堂も、残された中世の部分に合わせてゴシックのまま再建され、古典主義の17・18世紀を越えてゴシックが受け継がれた。ただしウェストミンスターでも、1745年に完成したニコラス・ホークスムアらの西塔は、ゴシックに当時流行のバロックを混ぜた折衷となり、五百年の増築の歴史を外観に表している。

設計者は何代も替わる

名築の建物ページが設計者として結んでいる人と組織の数を数えると、15件のうちサンタ・エウラリア大聖堂が9件、ウェストミンスター寺院が6件、メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂が5件にのぼる。中世の大聖堂の「設計者」は、多くの場合、工事を率いた歴代の棟梁の連なりであった。ウェストミンスターでは、1245年の着工から十数年のうちに棟梁がヘンリー・オブ・レインズからジョン・オブ・グロスター、ロバート・オブ・ビヴァリーへと二度替わっている。聖ヴィート大聖堂は、フランス出身のアラスのマティアスが1352年に没したあと、南ドイツ出身のペトル・パルレーシュが引き継いだ。

一方で、名築が結ぶ設計者が一人だけの建物もある。ミラノのドゥオーモには最初の主任技師シモーネ・ダ・オルセニーゴだけが結ばれているが、建物ページは、この聖堂がひとりの建築家の作ではなく、六百年のあいだヨーロッパ各地から集った人々の協働の結晶であると書く。結ばれた設計者の数の少なさは、関わった人の少なさを意味しない。

設計者の死後も工事が続く建物では、残された図面や模型が後継者を導いた。ケルンとウルムは中世の図面に従って完成した。1926年にアントニ・ガウディが世を去ったとき、サグラダ・ファミリアで完成していたのはごく一部であった。その後の工事は、ガウディの残した模型や図面、近年は彼の幾何学を解析したコンピュータを頼りに進められている。

完成しないという完成

15件のうち3件は、名築のレコードに竣工年がない、あるいは完成しないまま工事を打ち切った建物である。ボーヴェとマラガ、そして前節で触れたサグラダ・ファミリアである。

ボーヴェ大聖堂は、アミアンやパリのノートルダムをしのぐ大聖堂をめざして1225年に内陣から着工した。世界で最も高い48.5メートルのゴシックの内陣ヴォールトをもつが、二度の崩落を経て、身廊はついに着工されなかった。身廊が建つはずだった場所には、10世紀のロマネスク聖堂がなお残っている。マラガ大聖堂は南塔を基部で止めたまま工事を終え、「ラ・マンキータ(片腕の貴婦人)」と呼ばれる。南塔が未完となった理由には、集めた資金がアメリカ独立戦争の援助に回されたという言い伝えがあるが、教区の記録からは周辺の道路整備などへの転用も指摘され、真偽は定まっていない。

ライトアップされたマラガ大聖堂を上から見た夜景。正面の二つの塔のうち一本だけが高く伸びている
2023年の夜のマラガ大聖堂。正面の二つの塔のうち、立ち上がったのは一本だけであるDiego Delso / CC BY-SA 4.0 — Wikimedia Commons

表の外にも、未完の部分を抱えたまま「完成」とされた建物がある。ポルトガルのバターリャ修道院では、16世紀初めに手がけられた東端の「未完の礼拝堂群」が、八角形の霊廟を完成させないまま今日に残る。ホーフブルク宮殿は1913年に新王宮を完成させたが、計画された三つの翼のうち建ったのは一翼だけで、皇帝広場の構想は未完に終わった。フィレンツェの大聖堂は1436年にブルネレスキのドームで聖別されたが、正面のファサードが完成したのは1887年である。

竣工年は、どこかで線を引いた結果にすぎない。ミラノのドゥオーモでは、最後の青銅の扉が据えられた1965年をもって完成とするのが一般的で、名築のレコードもこれに従う。建物ページがこの年の「完成」を括弧付きで書いているのは、その線引きの意味を示している。

むすび:高さの記録と、今も続く工事

数百年をかけて仕上がった塔は、しばしば高さの記録も更新した。ボーヴェの交差部の尖塔は1569年から1573年の倒壊までの数年間、世界で最も高い人工の建造物であった。19世紀には、1876年に完成したルーアン大聖堂の鋳鉄の尖塔(151メートル)が世界一となり、1880年にケルン大聖堂(157メートル)がこれを抜いた。ケルンの記録は1884年にワシントン記念塔に破られる。このワシントン記念塔もまた、資金難と南北戦争が重なって1854年から25年間工事が止まった建物で、中断の前後で調達先の変わった大理石の色の違いが、地上約46メートルの高さに縞となって残っている。そして1889年、鉄のエッフェル塔が約300メートルでこれを大きく上回った。

教会の高さでは、1890年に完成したウルム大聖堂の西塔(約162メートル)が、その後135年にわたって世界一であった。これを抜いたのが、中世の計画ではなく19世紀末に着工したサグラダ・ファミリアである。建設中の塔は2025年10月にウルムを超え、2026年2月20日、中央のイエス・キリストの塔の頂に十字架の上腕が据えられて、高さ172.5メートルに達したこの塔の外部の工事が終わった。内部の工事は2027年から28年にかけても続く。

15件のうち14件の工事は、すでに終わっている。それでも、ケルンは今も保全の工事が絶えず、ボーヴェは補強が続き、マラガは片腕のままである。数百年をかけた建物にとって「完成」は終点ではなく、何代もの設計者と様式が重なった歴史の、ひとまずの区切りとも読める。

掲載建物

Buildings in this feature
建物国都市着工–竣工設計者本稿での位置づけ
ピサの斜塔 イタリア ピサ 1173 — 1372 ディオティサルヴィ、ボナンノ・ピサーノ、ジョヴァンニ・ディ・シモーネ、トンマーゾ・ピサーノ 傾きと一世紀の中断
ヒラルダの塔 スペイン セビリア 1184 — 1568 アフマド・イブン・バーソ、アリー・アル=グマーリー、エルナン・ルイス2世 ミナレットに鐘楼を積む
ボーヴェ大聖堂 フランス ボーヴェ 1225 マルタン・シャンビージュ 二度の崩落・身廊なし
ウェストミンスター寺院 イギリス ロンドン 1245 — 1745 ヘンリー・イーヴリー、ニコラス・ホークスムア、ヘンリー・オブ・レインズ、ロバート・オブ・ビヴァリー、ロバート・ヴァーチュー、ウィリアム・ヴァーチュー、ロバート・ストーウェル、ジョン・ジェームズ 西塔は着工から500年後
ケルン大聖堂 ドイツ ケルン 1248 — 1880 リヒャルト・フォイクテル、エルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナー、ゲルハルト・フォン・ライル 中世の図面で19世紀に完成
レーゲンスブルク大聖堂 ドイツ レーゲンスブルク 1273 — 1872 フランツ・ヨーゼフ・デンツィンガー、コンラート・ロリツァー、フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー、マテス・ロリツァー 尖塔を19世紀に建てる
サンタ・エウラリア大聖堂 スペイン バルセロナ 1298 — 1913 ベルナト・ロカ、ベルトラン・リケー、ジャウメ・ソラ、アンドレウ・エスクデー、アルナウ・バルゲス、バルトロメ・グアル、アウグスト・フォン・イ・カレーラス、ジャウメ・ファブレ、ジュゼップ・オリオル・メストレス・イ・エスプルガス 正面は19世紀末・設計者9件
聖ヴィート大聖堂 チェコ プラハ 1344 — 1929 ペトル・パルレーシュ、アラスのマティアス、ヨゼフ・モッケル、カミル・ヒルベルト フス戦争と民族復興
ウルム大聖堂 ドイツ ウルム 1377 — 1890 ウルリヒ・フォン・エンジンゲン、マテウス・ベブリンガー、アウグスト・フォン・バイヤー 中世の図面・135年の世界一
ミラノのドゥオーモ イタリア ミラノ 1386 — 1965 シモーネ・ダ・オルセニーゴ 600年の協働
サンタンドレア聖堂 イタリア マントヴァ 1472 — 1782 レオン・バッティスタ・アルベルティ、フィリッポ・ユヴァラ 設計者の没後にドーム
マラガ大聖堂 スペイン マラガ 1528 — 1782 ディエゴ・デ・シロエ 片腕の貴婦人
メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂 メキシコ メキシコシティ 1573 — 1813 マヌエル・トルサ、ホセ・エドゥアルド・デ・エレーラ、クラウディオ・デ・アルシニエガ、ホセ・ダミアン・オルティス・デ・カストロ、フアン・ゴメス・デ・トラスモンテ 三つの様式の積層
オルレアン大聖堂 フランス オルレアン 1601 — 1829 エティエンヌ・マルテランジュ、ジャック・ガブリエル ゴシックのまま再建
サグラダ・ファミリア スペイン バルセロナ 1882 アントニ・ガウディ 今も工事中・世界一高い教会

出典

Sources
  • 各建物の事実関係(年代・設計者・中断と再開の経緯・様式・高さなど):本稿の掲載建物表と本文に挙げた名築の各建物ページ。着工と竣工の年が150年以上離れた件数と竣工の世紀は、名築の公開済み建物の着工年・竣工年から集計した
  • ケルン大聖堂の工事の中断(1473年)、再開の費用負担(大聖堂建設協会とプロイセン国家)、ドイツの国民統合の象徴としての完成、1880年から1884年までの世界一の高さ:Cologne Cathedral(英語版Wikipedia)
  • ウルム大聖堂の1543年の工事中断の背景(宗教改革と交易の変化)、1844年の工事再開、中世の図面より高く改めた西塔、2025年10月にサグラダ・ファミリアに抜かれたこと:Ulm Minster(英語版Wikipedia)
  • ピサの斜塔の鐘楼の完成(1372年):Leaning Tower of Pisa(英語版Wikipedia)
  • サグラダ・ファミリアのイエス・キリストの塔の外部工事の完成(2026年2月20日)と内部工事の予定:Central tower of Barcelona's Sagrada Família completed(Vatican News、2026年2月21日)

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扉画像: © Thomas Wolf, www.foto-tw.de / CC BY-SA 3.0 de — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.10.25
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